2007年9月号掲載
新・学問のすすめ
著者紹介
概要
福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で、国の運命を切り開くには学問が不可欠だと説いた。そして実際、当時の人々は勉学に励み、近代日本の基礎を築き上げた。だが今の日本はといえば、諸外国と比べ、学生の学力レベルはかなり劣る。このままでは、わが国の未来は危うい。勉強するしか、個人と国の独立の道はない。そう主張する著者による、現代の「学問のすすめ」。
要約
福沢諭吉のメッセージ
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」—— 。
これは『学問のすゝめ』の巻頭言だが、福沢諭吉は、ここで万人の平等を説いたのではない。
その後で、本来、人は平等であるはずだが、そのためには、「人民もし暴政を避けんと欲せば、速やかに学問に志し自ら才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからず」と語っている。
すなわち、「勉強をしないと政府や偉い人にいいようにされるよ」と忠告しているのだ。
さらに、勉強すれば外国に勝てると語った後、強いものが弱いものをいたぶるのは当然だから、勉強するしか国の独立の道はないと説いている。
当時、日本は決して民度の低い状態ではなかった。江戸時代から続いてきた寺子屋に代表される教育の場が、有効に機能していたからである。
そんな中、『学問のすゝめ』が庶民から熱狂的に受け入れられたのは、「学問が大事だ」という考え方が歓迎された社会背景があったからだ。
その頃、日本は欧米の列強諸国の攻勢にさらされ、いつ植民地化されるかわからないという状況にあり、庶民もそれを薄々感じていた。
日本が独立を保つ方法の1つは、欧米に対抗できる武力を持つことだ。しかし、当時の日本の実力から考えれば、財政的にも技術的にもすぐにはできない状態だった。
そこで考えられたのが、日本が列強諸国に侮られない知恵を身につけるという方法だった。
こうした考えを持つ識者の1人であった福沢は、日本人が勉学を通して知識を深め、国民としてのまとまりを自覚し、日本全体のことに考えが及ぶようになる道をひときわ声高く主張した。