2007年10月号掲載
なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか 人間の出会いが生み出す「最高のアート」
著者紹介
概要
部下を持つということは、部下の人生を預かるということ。そうした重責を伴う、マネジメントという道を、マネジャーはなぜ歩み続けるのか。それは、1人の人間として成長できるからだ。そして、マネジャーと部下とが深い関わりの中で、ともに成長しようと支え合った時、「最高のアート」が完成する ―― 。著者の豊富な経験に基づく、“田坂流マネジメント論”。
要約
マネジャーが背負う「重荷」とは
経営やマネジメントの仕事。それは、部下や社員の人生という「重荷」を背負う仕事である。
すなわち、経営者やマネジャーとは、部下や社員の人生を預かる立場なのである。
では、部下や社員の人生を預かるとは何か?
それには、2つの意味がある。
1つは、部下の「生活」に責任を持つということ。つまり、彼らが、自身と家族の生活を支えられるようにする。
しかし、我々は一生涯、上司と部下、経営者と社員として歩むわけではない。必ず分かれる時が来る。そして、そこから先の生活は、本人が自らの力で支えていかなければならない。
従って、もう1つの意味は、部下の「成長」に責任を持つということである。
だが、それは極めて難しい。なぜなら、そこには正解が無いからだ。
例えば、部下が失敗をする。その場面で部下の成長を支えるために、厳しい言葉を投げかけるべきか、むしろ優しい言葉で慰めるべきか。この問いに一般的な正解など無い。
その時、処し方を誤れば、部下の成長を支えるどころか、逆に成長を損ねる時もある。だから、部下の成長を支えるということは重荷なのだ。
だが、その重荷ゆえにマネジャーは成長できる。例えば、仕事において、重要な意思決定が求められる。その時、その決断が自分の立場にどう影響するかを考えると、視野が狭くなる。