2007年11月号掲載
人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ
著者紹介
概要
西郷隆盛が好んだ言葉「敬天愛人」を京セラの社是とし、経営の指針としてきた稲盛和夫氏。その氏が、西郷の教えをまとめた『南洲翁遺訓』を独自の解釈で読み解き、人が正しく生きていく上での真理を明らかにする。現代の乱れた世相を正すには、人の心を見つめ直す以外に道はない ―― そう語る氏が、人生の王道を歩むための道しるべとして著した1冊。
要約
上質な日本人であるために
かつて、とびきり美しく温かい心を持った、1人の上質な日本人がいた。それは西郷隆盛である。
その西郷の思想を今に伝えるのが、彼の死後、庄内藩の有志の手によってまとめられた『南洲翁遺訓』である。
この遺訓は、時代を超え、我々に人間としてのあるべき姿を、今も鮮やかに指し示してくれる。
無私
「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也」
(訳:政府にあって国の政をするということは、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心を差し挟んではならない)
この遺訓1条の冒頭を飾る一文は、組織の長を務める者にとって、まさに羅針盤となるものだ。
西郷は政治を例に挙げているが、これは、どんな組織であれ、トップに立つ者はこういう心構えでなければならないということを示している。
トップに立つ人間には些かの私心も許されない。その私心が露わになった時、組織はダメになる。
この考えから、京セラは世襲制を採っていない。
このように無私の姿勢を貫き通すことは、一見非情だと思われるかもしれないが、人の上に立ち、集団を統率していくには、何としても身につけなければならないリーダーの条件なのである。
試練
中国の古典に、「謙のみ福を受く」という言葉がある。少しばかりの成功に酔いしれ、傲慢になっていく人は、最後には自分自身の欲の深みにはまって沈んでいく。謙虚さを忘れた経営者が舵を取る企業が、長く繁栄を続けた試しはない。