2009年3月号掲載
クオリア立国論
著者紹介
概要
経済が成熟した今日、世界の人々は、より上質な「クオリア(質感)」を求めるようになった。これは日本にとり、チャンスと言える。四季が移ろう国土で、古より高度な美意識を培ってきた日本人には、クオリアに対する優れた感性があるからだ。本書は、この感性を商品・サービスの開発に生かす「クオリア立国」を提言、資源に乏しいわが国の1つの生き方を示す。
要約
クオリア消費時代が始まる
抜けるような青空、ヴァイオリンの音色…。
脳科学の分野では、人間が心の中で感じる、こうした様々な質感のことを「クオリア」と呼ぶ。
このクオリアは一般に数字で表せないため、数量化できるものだけを研究対象としてきた近代の科学主義の伝統の中で無視されてきた。
しかし近年、脳科学の発達に伴い、クオリアは我々の世界観の中心課題として浮上してきている。
クオリアは、人間の脳が複雑な世界を把握するために進化の過程で獲得してきた自然の技術であり、日本には、もともとクオリアに対する感性の高い文化の伝統がある。
例えば、京都の寺院の庭のしつらいは、人々の心の中に微妙なクオリアのさざ波を引き起こす。美しい日本料理は、食材を研ぎ澄まされた感性で組み合わせたクオリアの芸術品である。
経済が成熟するほど、人々はより繊細で高度なクオリアを求める。ゆえに、それを提供するクオリア産業が、今後の成長産業となると思われる。
日本の持つクオリアに対する感性の伝統を、高付加価値の商品やサービスの開発に生かす「クオリア立国」。それこそが、資源に乏しく、安い労働力もない日本の、今後の1つの生き方である。
バブル経済の頃は、「記号的な消費」が席巻していた。例えば、当時、多くの人々が高級レストランへと足を運んだ。だが、本当にその料理を食べたいからではなく、「高級レストランで食事をする」という記号自体を消費していたのである。
「私はこういうレストランで食事をする人間なんだ」。そういう自分を他人に誇示したいという気持ちがあったわけだ。
だが、そんな行動は長続きするものではない。一時的な満足感を得ることはできても、やがてその満足感は薄れていく。人間の脳にとって長続きする価値。それはやはりクオリア、質感だ。