2010年3月号掲載

天風入門 中村天風の教えで幸福になる!

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概要

1968年に没するまで、約半世紀にわたり人々に生きる道を説いた中村天風。各界著名人はじめ多くの人に支持された彼の教えは、「天風哲学」と称される。生命を支える心の力と体の力の両面に働きかけ、生命力を充実させることで、幸福な人生を実現できる ―― 。天風が説いた、人生が順調な時も逆境の時も強い心で生きるための哲学、および実践法を指南する。

要約

中村天風の生涯

 中村天風は1876年、父・中村祐興と母・長子の3男、三郎として東京で生まれた。

 三郎は聡明だが気性が荒く、喧嘩が絶えなかった。手を焼いた両親は、小学校を卒業した彼を福岡の知人に託す。その後、壮士(明治中期の政治活動家)の集まりである玄洋社を率いる頭山満に預けられ、諜報活動の手ほどきを受けた。日露戦争では満州に渡り、“軍事探偵”として活躍する。

 満州から帰国後、三郎は疲労から肺結核を発病。死に直面し、日に日に心は弱まっていった。

 そこで、己の心を立て直そうと一念発起した三郎は渡米し、コロンビア大学で医学を修めた。

 その後、英国で神経療法の講習会に参加したり、ドイツの著名な生理学者を訪ねて話を聞くが、病は治らず、絶望的な気持ちで帰国の途につく。

 だが途中、エジプトで喀血し、動けなくなった。この時、偶然、ヨガ聖者のカリアッパ師に出会う。

 「お前は助かる」と言う師とともにヒマラヤを訪れた三郎は、そこでヨガ修行を始めた。雑穀や野菜の食事を食べ、修行を続けた結果、いつしか身体のけだるさは取れ、喀血もなくなった。

 こうして、3年近くにわたるヨガ修行を終えた三郎は日本へ帰国する。帰国後は実業界に転身し、電力、銀行など、次々と事業を成功に導いた。

 決意を固めた彼は実業界を去り、かつて頭山満から与えられた「天風」を名乗るようになった。

 1919年、天風は「統一哲医学会」を創設。やがて、その教えは東郷平八郎、原敬、松下幸之助、稲盛和夫といった政財界の有力者、知識人らの支持を受け、広く世間に認められるようになった。