2012年6月号掲載
「すみません」の国
- 著者
- 出版社
- 発行日2012年4月9日
- 定価935円
- ページ数220ページ
※『TOPPOINT』にお申し込みいただき「月刊誌会員」にご登録いただくと、ご利用いただけます。
※最新号以前に掲載の要約をご覧いただくには、別途「月刊誌プラス会員」のお申し込みが必要です。
著者紹介
概要
悪いと思っていないのに「すみません」とすぐ謝る。自分の意見を明確に言わない ―― 。ホンネが見えにくい日本的コミュニケーションは実にややこしい。本書は、自己の主張より相手との関係、調和を重視する日本の社会を「状況依存社会」と特徴づけ、それを軸に日本独自のコミュニケーションの深層構造を解剖。“曖昧さ”に潜む重大な意味を明らかにする。
要約
「すみません」の意味
日本に暮らしていると、ちょっとしたミスをした時など、事あるごとに「すみません」と謝るクセが身についていることに気づかない。
海外に行くと、明らかに向こうのミスなのに、謝らず堂々としているのに驚かされると同時に、日本人がいかに容易に「すみません」と言う習性を持っているかを強く認識させられる。
「すみません」「いえいえ」とは何か
日本的感覚からすれば、何かあった時には、とりあえずは謝った方がいい。そうした方が、その「場」の雰囲気が和やかになって、物事がスムーズに運ぶ。
例えば、皿を割ってしまった時、「すみません、うっかりカバンをぶつけてしまいました」と謝られると、それに対してきついことは言いにくい雰囲気ができ上がり、「いえいえ、気にしないでください」といった対応になることが多い。
「すみません」で良好な雰囲気の「場」ができ上がると、それを壊すような態度はとりにくくなり、「いえいえ」と言わざるを得ない空気が醸し出されるのだ。
さらに日本には、自分の責任を認めて謝る潔さをよしとする美学のようなものがある。そのため、非を認めて謝った人物に対して、それ以上責め立てるということはしにくい。
タテマエを持たない人の不安定さ
とはいえ、見ていて疑問を抱かずにいられない「すみません」もある。
企業や政治家の不祥事が表面化するたび、テレビで謝罪会見が放映される。それを見ると、儀式化された謝罪だと感じることがある。「皆やってるのに、なぜ自分が責められないといけないのだ」といった思いが透けて見える会見もある。
では、こうした欺瞞的な謝罪会見にうんざりさせられる視聴者が、逆にホンネを漏らす人物を肯定的に評価するかというと、そうとも言えない。
「私たちは最善を尽くしたつもりだ。他にどんな方法があったというのか」。こうしたホンネを軽々しく漏らす政治家や実業家は、その正直さが肯定的に見られるよりも、その未熟さや意識の低さが疑われ、むしろ否定的に評価される。
タテマエで行う謝罪が胡散臭くなるからといって、ホンネを言えばいいというわけではないのだ。