2013年7月号掲載
エマソン 運命を味方にする人生論
著者紹介
概要
米国精神をつくったといわれる、ラルフ・W・エマソン(1803~82)。「アメリカで成功した人の中で、エマソンに感化されなかった人はただの1人もいない」。こう語る渡部昇一氏が、彼の「自己信頼」の教え ―― 自らの考えを信じる生き方、そして示唆に富む言葉を紹介。自らの内面を見つめることを忘れ、時流に流されがちな現代人にとり、教えられることの多い1冊だ。
要約
「自己信頼」という生き方
私はアングロ・サクソン系の修養の本が好きで、サミュエル・スマイルズやジョセフ・マーフィーなどの著書を人生の参考にしてきた。
修養をテーマにした本は様々な人が書いているが、特にアメリカの修養論は露骨といっていいほどの成功論になっている。それらを読むと、必ずラルフ・ワルド・エマソンが引用されている。
戦後のアメリカにはポップ・フィロソフィー、すなわち大学で学ぶアカデミックな哲学とは違う民衆に訴えかけるような哲学が発生するが、その元祖として挙げられているのがエマソンなのだ。
エマソンの最もエマソンらしいところは、「自恃論(Self-Reliance)という論文に見られる。これは、『エマソン論文集』(岩波文庫)に「自己信頼」というタイトルで収められている。短い論文だが、アメリカのポップ・フィロソフィーのバイブルとなっているほど有名なものである。
哲学を学問にしたカント
哲学というものには2種類ある ―― それがはっきりわかったのは、18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントからといっていい。
カント以前の哲学は、ソクラテスでもアウグスティヌスでも、あるいはルソーでも、哲学者自身の人生経験を下敷きにして、「いかに生きるか」を考えるものだった。換言すれば、哲学者の生き方そのものが哲学であった。それは長い間続き、デカルトまでは、哲学と人間は切り離せなかった。
ところが、デカルトの後にカントが出ると、哲学は「哲学という学問」として、個々人の生き方から完全に独立したものとなった。哲学は学問として確立されたのである。その意味で、カントはアカデミックな哲学の元祖といっていい。
一方で、古代から続く「生き方それ自体が哲学である」という系統も途絶えたわけではなかった。それがアメリカで出てきたエマソンの哲学なのだ。
「いかに生きるか」を常に考えたエマソン
エマソンの哲学は「人生修養そのものが哲学である」という、ソクラテス以来の伝統を体現したものだ。そしてエマソン的な考え方は、アメリカの平等主義のデモクラシーの中で、「self-culture」(自己修養)という形で花開く。
そのため、今日、日本の哲学者はエマソンの考え方を哲学として扱いたがらない。通俗的だ、というわけだ。実際、日本の大学で、エマソンを哲学者として教えることもほとんどないと思う。
だが、それは間違いである。「人生そのものを懸命に生きることが哲学である」という考え方は、ポップ・カルチャーとして今もなお生きている。