2010年1月号掲載
日本人の知らないユダヤ人
著者紹介
概要
国際弁護士として活躍する著者は、60歳の時にユダヤ教に改宗し、“ユダヤ人”となる。そのためには、3年に及ぶ学習や試験、割礼などの厳しい試練を乗り越えねばならなかった。本書では、そうした改宗の経緯とともに、ユダヤ教やヘブライ聖書(旧約聖書)とユダヤ人との関係、戒律に込められた意味、さらにはユダヤ人ならではの知恵、暮らしぶりが語られる。
要約
ユダヤ人になる
私はユダヤ人である。父母は日本人だが、ユダヤ教に改宗したことでユダヤ人になった。
ユダヤ人とは、「ユダヤ教への改宗者、または改宗者である女性から生まれた者」であり、こうした人々の集まりがユダヤ民族である。
日本人の男性改宗者は、10年に1人いるかいないかの珍しい存在である。なぜか。それは、改宗には大変な思いをしなければならないからだ。
「信じろ」ではなく「問い続けろ」
ユダヤ教に改宗するには、ユダヤ教の勉強をし、試験を受ける必要がある。
私はラバイ(ユダヤ教の宗教指導者)から週1~2回のペースで、3年にわたって講義を受けた。
講義では、「ユダヤ人とは何か」という話をした後で、ユダヤ人の歴史、ヘブライ聖書(旧約聖書)、ユダヤ社会の慣習法である613の律法と、それの解説書であるタルムードの講義が行われる。
多くの宗教が布教をする際には、「死後の世界はこうだ」「現世ではこんなご利益がある」「神を信じなさい」という3点を強調する。だがユダヤ教の勉強では、この3つが全く出てこない。
ユダヤ教では、「こんなご利益がある」と教えない。それどころか613もの戒律を人間に与えている。「神を信じろ」とも言わない。神を無条件に信じることは、逆に良くないこととされる。
神の存在は無限で全能である。知恵も力も命も限りのある人間が、そんな巨大な存在である神を知ることはできないと考えるためである。
ユダヤ教の真髄を一言で説明すれば、「何事にも疑問を持つこと」つまり「問い続けること」だ。
礼拝では、どのラバイも、ヘブライ聖書を読んだ後で「何か疑問はないか」と尋ねる。ユダヤ教は、神の意思を問うことを信者に求めるのだ。