2010年2月号掲載
「自分ごと」だと人は動く 情報がスルーされる時代のマーケティング
- 著者
- 出版社
- 発行日2009年11月27日
- 定価1,650円
- ページ数227ページ
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著者紹介
概要
「情報がスルーされる時代のマーケティング」。このサブタイトル通り、今日、膨大な情報に囲まれた人々は、企業が発するメッセージの多くを無視する。しかし、自分と関係のある情報、「自分ごと」と受け止められれば、それは生活者同士で共有され、大きな影響力を持つ。本書は、この自分ごとを生み出すためにはどうすればよいか、各種の事例を引きつつ説く。
要約
細分化する社会
社会の変化のスピードが速い今日、世の常識とは乖離している部分が目立つようになってきた。
例えば、「日本は夫婦+子で構成される標準世帯が多くを占めている」という説はもう間違いだ。数の上では、一人暮らしが標準世帯より多い。
このように今、日本では標準、他と比較するための「物差し」が消えつつある。
大衆→分衆→網衆
世の中の標準や物差しがなくなるとは、我々の生活が細分化されていることに他ならない。
大衆の分裂が進み、『「分衆」の誕生』と題された書籍が1985年に刊行された。
さらには、「網衆」という概念も生まれている。人間は1人1人の存在であって、それが他の人とネットワーク的につながっている状態のことだ。
大衆、分衆と比較すれば、ネットワークとして他者と結ばれているにしても、いずこかに所属、帰属する感覚は薄くなっている関係性である。
網衆においては、同じ趣味、嗜好、境遇、経験などを手がかりにして、自分や相手に適した網(ネットワーク)が、神経細胞やアメーバのように連なり、情報が伝播していく下地となる。
大衆、分衆、網衆との間にある決定的な違いは、生身の人間という“器の限界”を超えてどこまでも軽やかにつながっている、その自由度である。
メディア環境の変化
一般生活の表層に現れている現象が社会の細分化なら、では、表層の奥にある構造はどうなのか。
現代社会の構造を見る時、着目すべきなのは、コミュニケーションを規定する構造の変化、特に「メディア環境」の変化である。