2010年3月号掲載

不幸な国の幸福論

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著者紹介

概要

先進国の中では低水準の社会保障、勝ち組・負け組と格差をあおる社会…。今の日本は幸せに生きるのが難しい。だが、人が幸福と感じるか不幸と感じるかは、本人の考え方次第。作家にして精神科医の著者はこう述べ、幸せになれない日本人の特性を明かし、不幸を幸福に変える心の技術を伝授する。「不幸な時代」を生きる我々に、貴重な気付きを与えてくれる1冊だ。

要約

幸福を阻む考え方・生き方

 精神科医として様々な人の話を聞いていると、「この人は自分で自分を不幸へと追いやっている」と感じることがしばしばある。

 例えば、ある男性は、高校2年生ぐらいから家に引きこもるようになった。理由を聞くと、背が低い、顔が醜い、これは両親の責任だと言う。

 彼の顔は醜いどころか、なかなかいい顔立ちをしている。だが、彼のような醜形恐怖症の人は、自分の顔や体について実際より悪いと信じている。

 1990年代に入り、醜形恐怖症に苦しむ人が目立ち始めたが、その原因を、精神科医の町澤静夫氏は次のように分析している。

 ―― テレビや雑誌などの視覚を中心とする情報の洪水の中で生きている現代人は、どうしても外見にとらわれ、「見られる自分」への意識を強めてしまう。また、醜形恐怖の人は、他人に認められたい、愛されたいと思うあまり、緊張してぎこちなくなり対人関係がうまくいかないケースが多い。しかし、自分が受け入れられない理由を対人関係の低さや未熟さゆえとは考えず、容姿が悪いからだと問題をすり替えてしまう。その根底には、問題に直面した時に、それをどう解決していくかという内省力、しっかりと悩み抜く力に欠けているという現代人特有の問題が潜んでいる。

 氏が指摘する2つの問題点、「見られる自分」に対する意識の強さと、「悩み抜く力」の欠如は、実は、日本人の多くが共通して持っている。

正しく「悩めない」という不幸

 まず、「悩み抜く力」の方から見ると、80年代に「ネクラ」という言葉が流行した。

 そしてその少し前から、明るく前向きであることが評価されるようになり、ポジティブ・シンキングやプラス思考を勧める本が次々に出版された。

 大いに悩み、まず自分の弱さや能力の限界を知って、それを認めてこそ、「では、どうしたら変えていけるか」と考えることができるようになる。

 人生が思うようにならない時、我々はその責任を他に押しつけてしまう傾向がある。