2014年9月号掲載
史上最大の決断 「ノルマンディー上陸作戦」を成功に導いた賢慮のリーダーシップ
著者紹介
概要
ノルマンディー上陸作戦 ―― 第2次世界大戦の勝敗を決定づけた史上最大の作戦は、「賢慮のリーダーシップ」が成功をもたらした。天才政治家チャーチルはじめ、多彩なリーダーたちが下した戦場の決断。彼らの意思決定の軌跡を追いながら、「最善の決断」を下すために必要な能力は何かを問う。経営学の世界的権威による、「危機の時代」のリーダーシップ論。
要約
史上最大の作戦
戦争における史上最大のプロジェクトは、第2次世界大戦の勝敗を決定づけた、ノルマンディー上陸作戦(北部フランスへの侵攻作戦)である。
計画から実行まで2年2カ月を費やし、従軍した将兵は、アメリカ軍とイギリスおよびカナダ軍を中心に約300万名に及ぶ。
1944年6月6日に敢行された上陸作戦の日、13万3000名の将兵と、1万4000台の各種車両などが、6000隻もの艦船舟艇により、ノルマンディーの海岸に運び上げられた。
上陸作戦に関与した多士済々
ノルマンディー上陸作戦には、各国の政治家が作戦の計画から決行に至る戦略に深く関与した。
戦略は、「国家の資源をどう使うか」を決める大戦略、「今ある武力でどう戦うか」を決める軍事戦略、「いつ、どこでどんな戦いを行うか」を決定する作戦戦略の3つに分かれる。
連合軍の大戦略に関わったのは、英首相ウィンストン・チャーチル、合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルト、そして自由フランス議長のシャルル・ド・ゴール、ソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリンであった。
この4名に対峙したのが、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーである。
ばらばらだった連合国の大戦略
ノルマンディー上陸作戦は、一筋縄ではいかなかった。それには、連合国の政治戦略、つまり大戦略が一枚岩ではなかったことが関係している。
チャーチルは、ドイツ軍の占領地域に直接上陸するノルマンディー上陸作戦には乗り気でなかった。そうした「直接戦略」よりも、北アフリカや地中海方面からバルカン半島経由でドイツを攻める「間接戦略」を主張した。
アメリカは日本の真珠湾攻撃によって大戦の当事者になった。太平洋での対日戦、欧州での対独戦。2つの戦争を別々にこなすことの負担は大きく、ドイツ打倒を優先したいと考えていた。
スターリンは、英米は自らの手を汚さず、ソ連だけにドイツと勝負させているのはけしからん、あわよくば独ソの共倒れを狙っている、という疑心暗鬼に駆られていた。その彼が唯一評価したのが、ソ連の負担が減るノルマンディー上陸作戦だ。