2014年12月号掲載
人間集団における 人望の研究
- 著者
- 出版社
- 発行日1991年2月20日
- 定価565円
- ページ数241ページ
※『TOPPOINT』にお申し込みいただき「月刊誌会員」にご登録いただくと、ご利用いただけます。
※最新号以前に掲載の要約をご覧いただくには、別途「月刊誌プラス会員」のお申し込みが必要です。
著者紹介
概要
人物評価の最大の条件、「人望」を考察した。著者によれば、人望の要件は「寛にして栗(寛大だが、しまりがある)」など、朱子が『近思録』で説いた9つの徳目。だが戦後、同書は忘れられ、「『徳』とはどのようなもので、どうやったら獲得できるのか、誰にもわからなくなった」。昨今の世情を見ると、この指摘を重く受け止め、しっかり学ぶ必要がありそうだ。
要約
「人望」こそ、人間評価最大の条件
「ダメだな、あの男は人望がないから」
日本社会では、この一言でその人の前途は断たれる。その人がいかに有能であってもダメ。そしてこの言葉には反論の余地がない。
また、「彼は能力はあるんだが、人徳がないからな」という場合、さらに落選した代議士が理由を訊かれて「誠に私の不徳の致すところ…」と言う場合、何を意味しているのであろう。いったい徳とか人徳とかは、何なのであろう。
それと人望とは、どのような関係にあるのか。
日本では、今後ますます“人望主義”が徹底する
「人間は社会的動物である」などという難しいことは言わなくても、実に、石器時代から、人間社会にはリーダーがいた。人類史において、何らかの形のリーダーがいなかった社会は、これまで存在したことがなかったと見てよいであろう。
違う点があれば、それはリーダー選出の要件だ。それが腕力・武力に基づくか、血統に基づくか、金権に基づくか等々、様々であったが、では平等社会ではどうなのか。
平等であればあるほど、また社会が平和であればあるほど、リーダー選出の要件として、人望が絶対化していく。というのは、平等社会には、それ以外にリーダー選出の要件がないからだ。
それは、どのような状態であろうか。それを予測するため、現代世界で最も平等化が進んだ集団、イスラエルの“キブツ”を見てみよう。
平等社会では、リーダーは不要か
キブツは、自由人が自らの意志で構成した「私有財産否定・共有共同制農場」だ。
脱退が自由だから、リーダーに人望がなく、全員が背を向けるか脱退すれば、倒産して解消してしまう。この点では、普通の企業と変わりはなく、現に倒産したキブツもある。
キブツ内にいる場合、私有財産はなく、すべてがキブツの共有財産である。そして、成員は「能力に応じて働き、必要に応じて支給される」。