2016年4月号掲載
キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理
- 著者
- 出版社
- 発行日2016年1月25日
- 定価902円
- ページ数235ページ
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著者紹介
概要
「互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」。キリスト教徒はこうした教えを受けつつも、多くの戦争に関わってきた。なぜ「愛と平和」を祈る一方で、「戦争」を行うことができるのか? キリスト教徒である宗教学者が、聖書の記述を引きつつ、信者が武力行使をいかに正当化するのか、なぜ人は戦争をするのか探究する。
要約
キリスト教が抱える矛盾
なぜ、キリスト教徒は、「愛」と「平和」を口にするのに、戦争をするのだろうか ―― 。
キリスト教は、これまで多くの戦争や暴力に関わってきた。この世の人間、組織、制度は、多かれ少なかれ矛盾や欠点を抱えているものだが、愛と平和を祈るキリスト教徒も、キリスト教会も、キリスト教社会も、例外ではない。
最大の教派、ローマ・カトリック教会の立場
世界全体で見れば、全キリスト教徒約23億人のうち、最も多いのはカトリックで、信者数は12億人と推定されている。
ローマ・カトリック教会は最も伝統のある教派として、これまで世界史全体で大きな存在感を示してきた。そのローマ・カトリック教会における「戦争」に対する姿勢を見ると、軍事行動を全面的に否定しているわけではない。
確かに平和な世界を望み、戦争を悪として強く非難してはいるが、いかなる武力行使も認めないというわけではなく、正当防衛としてのそれは権利であるのみならず義務でもあるとして、条件付きの軍事行動には肯定的な立場をとっている。
教会および信仰に関する基本的な見方や考え方をまとめた『カトリック教会のカテキズム』では、次のように述べられている。
正当防衛は単に権利であるばかりではなく、他人の生命に責任を持つ者にとっては重大な義務となります。(中略)合法的な権威を持つ者には、その責任上、自分の責任下にある市民共同体を侵犯者から守るためには武力さえも行使する権利があります。
同書は20世紀後半のものだが、21世紀に入って、社会の様々な問題に関する教会の姿勢を述べた『教会の社会教説綱要』がまとめられた。
ここでも、「暴力は、信仰の真実、人間性の真実に反する」と強調されている一方、侵略戦争が勃発してしまった悲劇的な状況では、「攻撃を受けた国家の指導者は、武力を行使してでも防衛する権利と義務があります」と述べられている。
こうした文書を見る限りでは、現代のカトリック教会は、決して100%純粋な非暴力主義を貫こうとしているわけではないのである。
プロテスタントも戦争を容認
では、プロテスタントはどうだろうか。