2021年11月号掲載
日本大空襲「実行犯」の告白 なぜ46万人は殺されたのか
著者紹介
概要
死者、1年弱で約46万人。太平洋戦争末期、アメリカによる無差別爆撃で奪われた命だ。もはや敗色が濃い日本を、なぜここまで徹底的に痛めつけたのか? 背景にあったのは、当時のアメリカ航空軍の“野望”だった! NHKの総力取材をもとに、これまで謎に包まれていた「日本大空襲」の真相を明らかにする。
要約
“空軍の父”アーノルドの野望
「私は、過激なことをするつもりだった。日本人を皆殺しにしなければならなかった」
(カーチス・ルメイ、アメリカ空軍将校)
*
ここに、半世紀ぶりに封印が解かれた「207本の音声テープ」がある。アメリカ軍内部で行われた聞き取り調査の録音だ。対象者は空軍将校246人。彼らは76年前、日本を焼き尽くし、46万人の命を奪った無差別爆撃の“実行犯”。軍の内部調査に対し、本音や思惑を包み隠さず語っていた。
当時、アメリカの勝利は決定的だった。にもかかわらず、なぜ徹底した爆撃を行ったのか ―― 。
カギを握る空軍の総司令官
キーマンは、当時のアメリカ空軍の総司令官、ヘンリー・アーノルド大将だ。彼とともに空軍の礎を築いたアイラ・エイカー(空軍中将)は言う。
「アーノルドは、常に自らができることを探し、何でも実行したがっていた。(中略)空軍が独立を果たすために第2次世界大戦においてどれだけのことができるかを示すことが非常に重要だった」
「空軍の独立」という言葉は、極めて重要な意味を持つ。実は、第2次世界大戦中、アメリカには“空軍”は存在していない。陸軍の下部組織に位置づけられ、“陸軍航空軍”と呼ばれていた。
アメリカ空軍が設立されたのは1947年。“戦後”なのだ。彼らは、日本への空爆の成果を足がかりに独立を果たした。つまり第2次世界大戦中に、アーノルドが戦争の勝利以上にこだわっていたのは、陸軍から独立することだった。
アーノルドと陸軍航空部
なぜ、アーノルドは“空軍独立”を望んだのか。
アーノルドは1903年に陸軍を目指し、士官学校に入学した。この4年後、1907年にアメリカ陸軍の中に初めて航空部が作られた(1941年、航空軍に名称変更)。アーノルドは自ら航空部を志願する。当時、航空機は安全性が低く、墜落などの事故はありふれたものだった。それでも彼は早くから飛行機の潜在能力の高さに気付き、いずれ戦争の主役になると考えていた。