2024年3月号掲載
ガザ 日本人外交官が見たイスラエルとパレスチナ
- 著者
- 出版社
- 発行日2023年12月25日
- 定価1,056円
- ページ数234ページ
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著者紹介
概要
ハマスによるイスラエル急襲と、それに対するイスラエルの地上侵攻。両者の衝突が続くガザの地は、パレスチナ問題の根深さを改めて見せつけている。だが、この70年の間には、イスラエルとパレスチナが和平に近づいた瞬間もあった。当時、現地で活動した元外交官が、両者の和平交渉の歩みと、その崩壊の原因を記す。
要約
イスラエルとパレスチナ
2023年10月7日、ハマスがイスラエルを急襲攻撃した。その後、始まったイスラエル・パレスチナ双方の攻撃の応酬による連鎖は、中東地域全体への拡大の恐れもある。
パレスチナ問題の根深さを改めて浮き彫りにした今回のハマスの怨念の背景には何があるのか。
ハマスの生みの親はイスラエル!?
ガザは、全長41㎞、幅10㎞の領土だ。面積はわずか365㎢(東京23区の約3分の2)だが、そこに約230万人のパレスチナ難民が住んでいる。ガザは2007年以来、ハマスが支配している。
ハマスとは、ガザを実効支配する組織。軍事部門を有し、10月7日の攻撃を主導。イスラエルの破壊と、その後のイスラム国家樹立を目標に掲げる。
1987年の第一次インティファーダ(民衆蜂起)後に「ムスリム同胞団」最高指導者アハマド・ヤシーン氏によって設立されたが、一方で当初はイスラエルが、当時ガザを支配していた与党ファタハへの対抗軸として育てたともいわれた。その意味で、ハマスの生みの親はイスラエルである。
イスラエル独立 ―― 第一次中東戦争
中東地域の対立の大きな原因となったのは、英国による「三枚舌外交」だ。第一次世界大戦中、英国はアラブ人にパレスチナの独立を、ユダヤ人に国家の建設を認めた。さらにフランスとロシアとで中東地域の分割を協議し協定を締結していた。
1947年、「パレスチナ分割決議」が国連で採択され、パレスチナをアラブ人地域とユダヤ人地域に分割し、エルサレム周辺は国連統治地域にすることが決められた。しかし、ユダヤ人に3分の1以上の土地が与えられることになったため、アラブ人が反発、パレスチナは内戦状態となった。
その後、ユダヤ国民評議会が独立を宣言。これに対して、レバノン、シリアなど、アラブ連盟5カ国が宣戦布告し、第一次中東戦争が勃発した。
1949年7月に停戦協定が結ばれ、戦争は終了。イスラエルはパレスチナ地域の大部分を手に入れ、独立を確固たるものとした。
第三次中東戦争
1967年6月に発生した、イスラエルとエジプト・シリア・ヨルダンを中心としたアラブ諸国の間で起こった戦争が第三次中東戦争である。
先制攻撃で制空権を手にしたイスラエルは、地上軍を侵攻させ、ヨルダン川西岸やガザなどを占領。6月10日には停戦が実現し、わずか6日間でイスラエルの占領地域は4倍以上に拡大した。