2024年6月号掲載
ガザ紛争の正体 暴走するイスラエル極右思想と修正シオニズム
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- 出版社
- 発行日2024年4月3日
- 定価1,100円
- ページ数247ページ
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著者紹介
概要
2023年10月7日、イスラーム主義組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃した。それは一見、パレスチナ側の暴挙にも思えるが、中東問題に詳しい著者は「起こるべくして起きた」と指摘。パレスチナ人に対する差別・虐待、暴走するイスラエル政権…。泥沼化するガザ紛争の実態と、背景にある歴史的、思想的要因を描き出す。
要約
イスラエルの過激な行動の歴史的背景
2023年10月7日、イスラーム主義組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃した。イスラエルでは、この攻撃を「ポグロム」にたとえる声が強まった。
ポグロムとは何か?
「ポグロム」とはロシア語であり、「破滅させる」という意味がある。旧ロシア帝国(1721~1917年)でのユダヤ人に対する暴力的な攻撃について用いられた言葉だ。
イスラエルの学校では、ポグロムやナチスの強制収容所の記憶が繰り返し教えられる。そのため、「アラブ人は我々がユダヤ人だから攻撃する」という考えがユダヤ人の中に浸透しており、それがパレスチナ人に対する大規模な暴力を肯定するムードになっている。
ユダヤ人の囲い込み
ポグロムが最初に発生したのは1821年で、現在のウクライナであるロシア帝国オデッサで発生したユダヤ人襲撃とされる。
ロシア帝国は18世紀のポーランド分割以降、ロシアに移住してきたユダヤ人に対して、ロシア西部へと「ユダヤ人の囲い込み」を行い、彼らの国内への流入や社会同化を制限する措置をとった。
1881年には、ロシア皇帝アレクサンドル2世の暗殺事件を契機にポグロムが発生。その翌年、ロシア皇帝はユダヤ人の農村部における土地所有を制限し、彼らを都市だけに居住させる差別的措置をとった。これはユダヤ人の活動を奪うことになり、ロシア社会に希望を見いだせなくなった100万人以上のユダヤ人がアメリカに渡っていった。
そのうちの少数は西ヨーロッパに移住していったが、西ヨーロッパでは「反セム(ユダヤ)主義」のイデオロギーや運動に遭遇することになる。
ポグロムの拡大
ポグロムの背景にあるのは、反セム主義という社会における異質な分子を差別、排除しようとする歪んだナショナリズムであった。
1903年からポグロムはロシア全土で見られるようになる。1905年のロシア革命の失敗とその後の経済的低迷は、ロシアのユダヤ人の若者を多数パレスチナに移住させることになった。
ユダヤ人は、ロシア内戦、ポーランド・ウクライナ戦争、ポーランド・ソ連戦争の間、紛争当事国からポグロムを受けた。第一次世界大戦後、米ウィルソン大統領はポーランドで発生しているポグロムに関心を寄せ、調査を提唱したが、それほど東欧におけるユダヤ人迫害は拡大していた。
イスラエルでは、先に述べた2023年10月のハマスの攻撃は、ポグロムに見られるような反セム主義によって起こされたと考えられている。