2024年6月号掲載

禅学入門

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著者紹介

概要

禅とは何か? それは哲学のようでもあり、宗教のようにも、瞑想の一種にも見える。だが、これらはすべて誤解だ。そんな、一般人には難解に思える禅の世界を、禅学の泰斗が丁寧に説く。禅とは、すべてのものを「ありのままに見る」こと ―― 。禅の目的や実践、「悟り」などについての解説を通じ、その本質を明らかにする。

要約

禅とは何か

 禅は、論理や分析の上に築かれた哲学ではない。いずれかといえば、禅は論理の正反対である。すなわち、論理は思考の二元的様式を具えたものである。だが禅は心の全部であるから、禅のうちには知的要素があるともいえるが、心とは多数の機能に分割されたりするようなものではない。

 禅は、知的分析の方法によっては何ら吾々に教えるところなく、またその教徒に課するに何か規定せられた教理なるものをも持っていない。この意味で、禅は無秩序であるともいえる。

 禅には聖典とか教義とかいうものはなく、また象徴的な様式などもない。しからば、禅は何を教えるのか?

 禅は何物をも教えない。禅にある教訓が何であってもそれは皆、人々自身の心から出るものであって、禅は単に道を示すに過ぎない。もし、この道を示すことが教訓というなら、そんな教訓はある。そのほかには、基本教義として、あるいは根本的哲学として設けられたものは、禅にはない。

禅は宗教か

 では、禅は宗教であるのか?

 禅は、一般に考えられるような意味では宗教ではない。禅には拝すべき神もなく、守るべき儀式もない。さらに、何人かによってその幸福が保障されるであろうような霊魂なるものもない。

 禅はこれらの独断的な、そして「宗教的」という邪魔物から自由である。禅に神なしといえば、敬虔な読者は驚くであろうが、これは禅が神の存在を否定するというのではなく、否定も肯定も禅の関知するところではないのである。

 一物が否定される時、その否定は何物か否定されざるものを含んでいる。肯定についても、また同じことがいえる。これは論理上避け難きことであるが、禅は論理の上に出でんと欲する。より高き肯定の発見を希う。

禅の真理と生命

 禅寺にある仏陀や菩薩や、その他の仏像は、木や石や金属の陳列のようなもので、あたかも庭園に咲く椿や石燈籠のようなものである。

 禅はいう。お好みならば、今を盛りの椿の花を拝まれよ、と。何となれば、かくするところに、仏教の神々を拝んだり、キリスト教の聖餐に列したりするほどの宗教があるからである。

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