2005年7月号掲載
大英帝国衰亡史
- 著者
- 出版社
- 発行日2004年4月19日
- 定価713円
- ページ数379ページ
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著者紹介
概要
小さな島国であるイギリスは、かつて7つの海を支配し、長期にわたって世界の政治・経済を支配し続けた。この巨大な力を持った「大英帝国」は、なぜ衰退したのか ―― 。本書は、帝国史の全体像を概観しながら、大英帝国の本質とその衰亡の原因について、対外政策や戦略、経済力などの面から解き明かした衰亡史である。
要約
「自由貿易」の呪縛
大英帝国の偉大さの根源はどこにあったのか?
1871年、新国家建設の範を求めて欧米視察の旅に出た岩倉具視らは、次のようなイギリスの営みの中に力の源泉を見いだした。
「英国は商業国なり。(中略)各地の天産物を買い入れて自国に輸送し、鉄炭力を借りてこれを工産物となして、再び各国に輸出し売与ふ」
だが、こうした認識は当時の日本だけでなく、欧州の主要国や米国も達していた結論で、その実現に向け、各国は独自の戦略を進めていた。この意味では、イギリスは「追いつかれ」つつあった。
実際、1870年代、イギリスの輸出は大幅に減少した。わずか数年から10年のうちに、ドイツへの輸出は33%減少、米国に対しては28%減少した。また、戦略産業たる綿製品の対米輸出は、70年は265万ポンドだったが、76年には半減した。
こうした劇的な変化は、イギリスがすでに「追いつかれ」、経済覇権を失いつつあることを示すものだった。産業競争力の見地からみて、1870年代は「終わりの始まり」といえる。
この「終わりの始まり」を迎えつつあった時、当時のイギリス人が「衰退」をめぐって議論を交わした焦点は「自由貿易」という考え方だった。
大国が、繁栄の中で自由貿易を採用した後、その競争力に陰りを見いだした時、それまでの自由貿易政策に対してどのように対応するのか —— そのジレンマは極めて深刻なものとなる。
例えば、製造業における競争力が低下したから工業で保護主義をとり、金融・サービスでは開放体制を続けるという「いいとこ取り」はできない。
そこで、「公正貿易」や「相互主義」など様々なレトリックが発明され、自らの保護主義への傾斜が、開放性を高めるための「新路線」であるかのように訴える議論が広まった。
イギリスに「追いついてくる」国が増加した「大競争の時代」には、自由貿易の変質が迫られることは避けられない。そしてそれは、「帝国主義」論へとつながってゆくのである。