2006年2月号掲載
スイスと日本 国を守るということ 「永世中立」を支える「民間防衛」の知恵に学ぶ
著者紹介
概要
戦後、「永世中立国」の看板を世界中に振りかざしたスイス。そんな同国を日本人は礼賛してやまない。だが、その永世中立政策の“真相”をどれだけ多くの人が知っているだろうか。いつでも防御陣地に移行できる民間人の家屋、徹底した国防作戦計画…。そうしたスイスの素顔を明らかにする本書は、平和ボケした日本人に、国を守るということの意味を問いかける。
要約
「永世中立」と「民間防衛」
我々は21世紀を「平和」に過ごすことができるか。それには、近隣から国益を脅かされないという前提が必要となる。
戦後日本人は、「永世中立・非戦」の旗印をもって、第2次世界大戦を生き抜いたスイス連邦の存在に心を奪われた。そして、そこに日本の進むべき道を重ね合わせた。
しかし、スイスは決して非戦国家ではなかった。また、中立であり続けることが、どれほどの労苦を伴うものであるか、日本人は誰も知らない。
例えば、首都ベルンやジュネーヴの主要なホテルの地下に、対原爆攻撃用の避難施設がある。
さらに、スイスの民間防衛の本質を語るものの1つが、家屋だ。その壁は腰下部分が小銃弾、大砲の破片が貫徹しないように作られ、ところどころに銃眼がある。そして、これら家屋の配列は、いつでも防御陣地を構成できるようになっている。
これらは、一朝一夕にできるものではない。我々は、その成熟した国防観に感嘆するばかりでなく、スイス人の堅強な性質が、艱難辛苦の歴史から生み出された過程を理解しなくてはならない。
フランスの属国として、踏みにじられた国土
1796年から始まったナポレオンの対オーストリア戦争は、翌年4月、ひとまず休戦となった。
スイスの人たちは胸をなでおろし、再びこんな緊迫事態は起きないだろうという楽観論が、国防の必要性を説く人々の声を押さえ込んだ。
ところが翌年、突然なだれ込んできたフランス共和軍によって占領された。あっという間の出来事で、スイスは「ヘルヴェチア共和国」という新たな国名を受け入れ、フランスの属国となった。
その後、ナポレオンは、ライン河東岸地区からスイスを経てイタリア中部に至る地域をまとめて、「ライン同盟」を結成させることにした。
ライン同盟は有事に約3万5000の兵力をもって、フランス軍と共同作戦を行うよう義務づけられる。この同盟関係は、1815年、ワーテルロー会戦の敗北でナポレオンが流刑されるまで続いた。