戦後日本人は、「永世中立・非戦」の旗印をもって、第2次世界大戦を生き抜いたスイス連邦の存在に心を奪われた。そこに日本の進むべき道を重ね合わせた。(中略)
しかし、スイスは決して「非戦国家」ではなかった。また「中立」であり続けることが、どれほどの労苦を伴うものであるか、日本人は誰も知らないだろう。
解説
スイスの「民間防衛」の概念は、日本でいうそれとはまったくかけ離れている。
例えば、首都ベルンやジュネーブの主要なホテルの地下には、対原爆攻撃用の避難施設がある。
また、村の家屋の壁は、腰下部分が小銃弾や大砲の破片が貫徹しないように作られ、ところどころに銃眼がある。そしてこれら家屋の配列は、いつでも防御陣地を構成できるようになっている。
これは、一朝一夕にできない。我々は、成熟したスイスの国防観に感嘆するばかりでなく、それが生み出された歴史を理解しなくてはならない。
1945年、第2次世界大戦が終わり、国際連合(国連)が結成された。
この時スイスの人々は、国連とは何かを考えた。そしてそれは戦勝国による「現状維持」のための国際結託にすぎない、すでに失敗した「ウィーン議定書」や「国際連盟」と同様のものだ、と認識した。
「戦争とはより良い平和を構築すること」という考え方がある。だから、国連憲章が口先で現在の平和を維持すると唱えても、加盟国がもっと優れた平和を構築するという美名のもとに、再び世界を覇権争奪の場にするかもしれない。
そこで、スイスは「永世中立国」の看板を掲げることにした。それは国連に入らないことだった。
加えて正規軍を縮小し、民間防衛で国防することを公表した。これは「美しい」見方だが、その真実は、二度と戦争の苦悩を味わわないために「スイスの要塞化」を徹底することだった。
つまり、民間防衛の本当の意味は「国民皆兵」に他ならない。