2006年12月号掲載
格差病社会 日本人の心理構造
著者紹介
概要
心理学者である著者は、今騒がれている「格差社会」という言葉は、本来「格差病社会」というべきだとする。人々は格差社会といわれる社会の中で、勝ち組になろうとして、あるいは負け組になることを恐れて無理をし、そして心理的に病んでいくからだ。心を軽んじる国は、いつか滅びる。この危機感のもと、経済にも増して大切な“心”の問題にスポットを当てる。
要約
過剰競争意識がもたらすもの
現実の格差の大きさと、格差意識の深刻さとは関係がない。
日本に比べて米国の方が現実の格差ははるかに大きいが、格差意識は少ない。日本の方が現実の格差は小さいが、格差意識は大きく、毎日、毎日「格差社会」という言葉を聞く。
今の日本では人々は生きることに疲れていて、夢がない。だから、いくら経済的に繁栄しても、その実感がない。格差社会、格差社会と騒ぐのは、経済的に繁栄していても、人々の不満が高まっているからである。
では、なぜこれほどまでに不満になるのか?
それは、誰もが楽にお金を手に入れようとするからだ。そして、本当に好きなものがない。
マネーゲームをするよりも鍛冶屋でいいのに、皆と一緒に株で儲けようとする。
人々は格差社会といわれる社会の中で、勝ち組になろうと無理をし、負け組になることを恐れて無理をする。
こうした競争は、人を非創造的にし、同調性を促す傾向がある。
例えば、会社で出世競争をしているビジネスパーソンが、過剰な競争意識を持っていれば失敗の危険は冒さない。会社で認められている前例に従って行動するに決まっている。
日本の会社が前例主義、横並びになるのは、実は競争をしているからである。競争があるから、敗者になることを恐れて、皆が同じになるのだ。
競争や成果主義が、日本人と米国人に同じように機能すると考えた政治家や経済学者がいるが、これは錯覚である。