2007年12月号掲載
トヨタはどうやってレクサスを創ったのか “日本発世界へ”を実現したトヨタの組織能力
著者紹介
概要
トヨタが、かつてない難題に挑戦した。それは、世界に通用するプレミアムブランドを構築すること。そのために同社は、すでに米国で成功を収めていたブランド「レクサス」を改めて日本に導入し、日本文化の真髄を織り込んで世界に発信した ―― 。そのプロセスにおいて、いかに組織が作られ、機能したのか。同社の挑戦の軌跡を追いつつ、その成功の要因を探る。
要約
日本発のプレミアムブランド
2005年8月、トヨタはレクサスを日本市場に導入した。ベンツ、BMWといった輸入車に独占されてきた高級車市場への参入である。
80年代、北米市場におけるトヨタの位置付けは、「カローラとトラックの会社」というものだった。そうした位置付けに危機感を持った同社は、高性能のプレミアムカーの開発を決意した。
その際、トヨタというブランドはマイナスイメージとなると考えて、「レクサス」というブランドを立ち上げ、ゼロからのスタートを切った。
そして、燃費、静粛性、空気抵抗などの数値面でベンツやBMWにも負けないレクサスブランドの車、「LS400」(日本名セルシオ)を開発した。
こうしてデビューしたレクサスは、米国で大成功を収めた。だが、ヨーロッパでは苦戦した。
ヨーロッパの人々は総じて、しっかりした価値観、アイデンティティを持つ人やモノを尊敬する。
だからヨーロッパで成功したければ、日本を背負った揺るぎないブランドを築かねばならない。そのためには、米国から逆上陸させるのではなく、このブランドを日本で再構築する必要があった。
これが、レクサスを日本市場に投入した目的である。ただし、これは2番目の理由だ。その第1の理由は、2000年の時点で、その後の10年を見据えた時に、トヨタが抱えた危機感であった。
当時、同社は2つの予兆を嗅ぎ取った。
1つは、トヨタが最も得意とするミドルクラスの車を求める顧客層の嗜好の変化から、その市場が縮小しているという予兆であった。
もう1つは、トヨタが唯一手をつけていないカテゴリーであるプレミアムカーの重要性が高まってきているのではないかという予兆だった。