2010年3月号掲載
安岡正篤ノート
著者紹介
概要
安岡正篤氏は、東洋思想の普及に尽力し、歴代総理の指南番といわれるほど、政財界に大きな影響を及ぼした。著者は、氏の教えが普遍性を持つのは、和漢洋の古典と歴史に基づく実践的な「人間学」を説くものだからであり、この人間学が“人間の背骨”をつくるという。本書では、安岡氏を“人生の師”と仰ぐ著者が、その教えの概要、今日的意義をわかりやすく語る。
要約
傑出した碩学・安岡正篤
安岡正篤先生は、古今東西の学問思想に通じた昭和の碩学として知られている。
また、歴代総理の指南番として知られ、終戦の詔勅の草案に関わり、「平成」という年号の生みの親ともされるなど、政治との関わりも深い。
安岡正篤の学問遍歴
安岡先生は、1898(明治31)年、大阪の堀田喜一・悦子夫妻の4男として生まれた。
その学問遍歴を調べると、4、5歳の頃から漢籍の素読を始め、この素読が東洋の古典に向かう素地を身につける体験となった。また、水戸光圀の命で編まれた『大日本史』や南北朝時代を描いた『太平記』といった日本の歴史にも親しんだ。
14歳頃になると、陽明学の手ほどきを受ける。
そして、大阪府立四條畷中学を卒業し、1916年に第一高等学校に入学する。この前年に縁あって、安岡盛治という人の養子となった。
この頃は先生が読書に耽った時期であるらしく、次のように自著には記されている。
「熱烈な精神的要求から、悶々として西洋近代の社会科学から、宗教・哲学・文学などの書を貪り読んだ。ダンテ、ドストエフスキー、トルストイ、ニーチェ、ワイルド、マルクスなども耽読した。(中略)しかしどうも不満や焦燥の念に駆られ、深い内心の持敬や安心に役立たず、いつのまにか、やはり少年の頃から親しんだ東洋先哲の書に返るのであった」(『王陽明研究』新序)
先生は単に東洋哲学だけでなく、西洋近代の社会科学から宗教、哲学、文学と、ありとあらゆるものを読み、再び東洋哲学に戻ってこられた。この点が非常に重要である。
「安岡教学」の骨格となる4冊の本
ある人が数えたところ、安岡先生が直接書かれた本は33冊あるそうだ。そして、これらの他に、講義・講演をまとめたとされる本が22冊ある。
処女作は、東京帝国大学に在学中の24歳の時に著した『支那思想及び人物講話』である。