2011年10月号掲載

「死にざま」こそ人生 「ありがとう」と言って逝くための10のヒント

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著者紹介

概要

日本ホスピス界の先達である著者は言う。「人が生きてきた『生きざま』が『死にざま』に凝縮される」と。不平不満を言って生きてきた人は不平不満を言いつつ、周りに感謝して生きてきた人は感謝しながら逝く。誰もがいつか迎える旅立ちの日。本書では、その時を幸せなものとするためのヒントを、これまで約2500人を看取ってきた著者がその経験を基に示す。

要約

人は生きてきたように死んでいく

 ホスピスという場で、約2500名の患者さんを看取った。看取り。この重い仕事を通して、実に多くのことを患者さんから教えてもらった ―― 。

死の受容と年齢

 高齢者は死を受け入れやすい。「もう十分生きました。いつお迎えが来てもいいんです」というような老人の言葉をしばしば耳にした。

 一方、中年の患者さんは死を受け入れにくい。50代のある男性は「まだ、し残した仕事があるし、子どもたちも結婚していません。死ぬに死にきれません」と言った。

 人が死を受け入れて亡くなったかどうかを判定することは難しいが、死の受容の1つの要素として「いらだち」の有無がある。死を受け入れにくい患者さんは、いらだちを表出する。

 以前、年代ごとのいらだちを調べたことがある。

 その結果、最もいらだちが多いのは50代であった。60代、70代といらだちは減り、80代になると、極端に少なくなる。同様に40代、30代と順に少なくなり、10代ではかなり少なくなる。

 いらだちが死の受け入れにくさを示すのであれば、50代が最も死を受け入れるのが難しいということになる。それはなぜなのか。

 私は、死の受け入れにくさは、別れねばならない人の数と関係しているのではないかと思っている。50代といえば、人生の中で最も人間関係が広がり、死を自覚した時に「さようなら」を言わねばならない人の数が最も多いわけである。このことが死を受け入れにくくしているのではないか。

「矢先症候群」

 我々は普通、「生の延長上に死がある」と思って生きている。しかし、現実には我々は「死を背負って生きている」のである。

 多くの人を看取って、私は「矢先症候群」とでもいうべき一連の症候群があることに気づいた。

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