2013年1月号掲載
鎖国シンドローム 「内向き」日本だから生きのびる
著者紹介
概要
政治も経済も停滞し、閉塞感が漂う今の日本。若者の内向き志向も、最近、話題になっている。だが、「内向き」志向も悪くない、というのが著者の考えだ。日本は江戸時代をはじめ、歴史的に「鎖国」と「開国」を繰り返し発展してきた。成長から成熟へ。世界経済が不安定な今こそ鎖国モード、すなわち内向き志向の利点、成熟国家・日本の良さを見直そうと訴える。
要約
鎖国メンタリティと日本人
「日本はまた『鎖国』した方がよいのではないか…?」。こんな冗談のような話を真顔で話す人が、このごろ増えてきた。
ユーロ危機などの影響で世界経済が不安定な上、各国が自国防衛に四苦八苦している状況が背景にあるためかと思うが、日本人の「内向き」志向も大いに関係していると思われる。
しかし日本の歴史を眺めると、日本は「開国的な時代」と「鎖国的な時代」を繰り返すことで、社会が変化し、成長してきたともいえる。
いわゆる「鎖国時代」は、江戸時代を指すと思いがちだが、必ずしもそうではない。日本では、鎖国的な時代が、何度も繰り返されている。
例えば、邪馬台国から大和朝廷に至る、いわゆる古代は、日本と中国文明との関係が極めて近く、儒教や仏教が伝来した。また、遣唐使を派遣したり、漢字を導入するなど中国文明の移入に努めた。
だが、平安時代に入ると唐との関係は稀薄になり、遣唐使は廃止されて日本は鎖国状態になった。
平安末期、平清盛は日宋貿易に力を入れ、宋との交流は鎌倉時代に入っても続く。だが鎌倉末期、中国との交流は途絶え、再び鎖国状態に入る。
室町幕府ができると日中の交流は盛んになり、再び開国の時代となる。豊臣秀吉の時代に入ると、秀吉は朝鮮に出兵、明への進出を試みるが戦い半ばで病没。秀吉の死後、徳川家康は朝鮮から撤兵し、海外拡張路線に終止符を打つ。そして1603年、徳川幕府の開設後、段階的に鎖国化が進む。
250余年の太平の夢を破ったのは1853年のペリーの来航、いわゆる黒船の到来だった。
幕府はすばやく開国政策に転じる。そして、明治維新で再び開国へと踏み出したのである。
大正から昭和へ入ると、ある意味での鎖国に向かう。1933年の国際連盟からの脱退、37年の日独伊防共協定への道は、鎖国政策への回帰だった。