2013年8月号掲載
決断の条件
著者紹介
概要
著者は言う。「私たちは、殆んど決断や選択という能力を持たないのではないかと思うほど『優柔不断』な国民である」。そんな日本人に向け、マキァヴェリをはじめとした先哲の言葉、古今東西の歴史事例を引きつつ、冷静な現実把握と意志決定の要諦を説く。「意志決定のバイブル」として経営者たちに読み継がれてきた、1975年刊の名著をリニューアルしたもの。
要約
意志決定の条件
私たちは、決断や選択という能力を持たないのではないかと思うほど「優柔不断」な国民である。
政財界でのトップたちのいわゆる一世一代の決断とかいわれる話を調べてみても、そこに真の決断は殆んど見られない。各種各様の自然的、社会的、政治的、経済的、社内的状況に押され、それに順応しただけである。
日本人にとって意志決定とか決断という言葉ほど、その民族的性格に無縁な言葉はない。私は、切にそのことを痛感する。それを思い、マキァヴェリを中心に、意志決定の条件を書いてみた。
民衆を真の味方にできるのは君主(権力者)だけで、一介の市民が民衆を頼ろうとするのは、ぬかるみの上に土台を築こうとするようなものだ。(マキァヴェリ、以下同じ)
天満の与力、大塩平八郎は心から民衆の身を思う男だった。
天保は、元年から飢饉が相次いだ。大塩は非力な与力でありながら、人間関係を利用して寄附を求めたり、自分の蔵書5万冊を売り、その金を貧民に配分したりするなど、大坂の窮民のためにできるだけのことをした。これで、民衆はまるで神のように「大塩様」と崇拝するようになった。
これは大塩平八郎が、世直しの蹶起を決断し、いざという時、民衆が追随して起つことを期待しての布石だったろう。
平八郎はそれと併行して、大砲鉄砲を製造し、市中の極貧者などを集めて300人の部隊を作り、天保8年2月19日、暴動に立ち上がった。
事はうまく運ぶかに見えた。大砲を乱射し、またたく間に大阪市の5分の1を焼き払った。
だが、この一揆はたった8時間で弾圧される。なぜ、こんな、あっけない失敗に終わったのか。
大坂の民衆が立ち上がらなかったからだ。彼らは、平八郎に続こうとはしなかった。なぜか。
一揆軍が軍事的訓練も統一意思も欠如した単なる烏合の衆にすぎぬことを見てとったからだ。大塩は君主ではない。権力者ではない。これでは何もできないということを、彼らは見抜いたのだ。