2013年11月号掲載
祖国とは国語
著者紹介
概要
「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数」。著者の藤原正彦氏は、数学者でありながら、小学校における教科の重要度を、こう位置づける。それは、国語が論理を育み、情緒を培い、全ての知的活動・教養の支えとなる読書する力を生むからだ。本書では、こうした国語教育の重要性に加え、我慢力や祖国愛を養うことの必要性など、独自の教育論を展開する。
要約
国語教育絶対論
日本は今、危機にある。外交ではひたすら米国に追随するばかり、経済では財政赤字が増大し、国家財政破綻までが囁かれている。
教育に目を転じても、経済と同様、改革という改革が裏目に出ている。落ちこぼれ、いじめ、不登校なども、一向に減る兆しを見せない。
経済と教育と社会が密接につながっているように、この国の困難は互いに関連し、絡み合った糸玉のようになっていて、誰もほぐせないでいる。
わが国の直面する危機症状は、局所的なものではなく、全身症状である。すなわち体質がひどく劣化したということだ。国家の体質は国民1人1人の体質の集積であり、1人1人の体質は教育により形造られる。すなわち、この国家的危機の本質は誤った教育にあるということになる。
教育を立て直す以外に、この国を立て直すことは無理だ。とは言え、どう立て直すかがすこぶる難しい。具体的に何から手をつけたらよいのか。
私には、小学校における国語こそが本質中の本質と思える。国家の浮沈は小学校の国語にかかっていると思えるのである。
国語は全ての知的活動の基礎である
情報を伝達する上で、読む、書く、話す、聞くが最重要なのは論を俟たない。これが確立されずして、他教科の学習はままならない。
それ以上に重大なのは、国語が思考そのものと深く関わっていることだ。物事を考える時、頭の中では誰でも言語を用いて考えを整理している。
例えば好きな人を思う時、「ときめく」「見初める」「想いを寄せる」「好き」「一目惚れ」など、様々な語彙で思考や情緒をいったん整理し、そこから再び思考や情緒を進めている。
これらのうちの「好き」という語彙しか持ち合わせがないとしたら、情緒自身が直線的なものになるだろう。人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過言でない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである。
日本人にとって、語彙を身につけるには、何はともあれ漢字の形と使い方を覚えることである。日本語の語彙の半分以上は漢字だからである。