2015年10月号掲載
戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か 日露戦争からアジア太平洋戦争まで
著者紹介
概要
かつて日本が行った戦争、植民地支配などの解釈を巡り、日中、日韓の間で対立が深まっている。なぜ、歴史認識の共有は難しいのか。戦前の日本を悪とする歴史書、逆に問題なしとするもの。どちらにも違和感があるという著者が冷静な目で歴史を見つめ直した。歴史学の潮流を追いつつ、歴史を政治や運動の道具とせず、謙虚に史実と向き合うことが大切だと説く。
要約
村山談話の帰結
戦争が終わって70年が経った。
現在、歴史をめぐり多様な議論がなされ、議論の収斂が難しい。それは、戦争についてあまりにも多様な認識が広がっているからであろう ―― 。
村山富市の決意
戦後50周年を迎えた1995年。当時、政権を担っていたのは、自民党と新党さきがけ、そして首相・村山富市を擁する社会党であった。
村山首相は、戦後半世紀を経たこの年に歴史を語る必要を強く感じていた。そして、8月15日、閣議終了後に記者会見が行われた。いわゆる「村山談話」の誕生である。
談話には、「植民地支配と侵略」によって多くの悲劇をもたらしたことへの「痛切な反省」と「心からのお詫び」という言葉がある。戦後日本の首相による談話で、ここまで踏み込んで「反省」と「お詫び」の念を表明したことはなかった。
その村山の強い気持ちは、村山談話の次の言葉にも強く示されている。
「敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません」
村山首相は、「独善的なナショナリズム」が日本で台頭することを懸念していた。侵略と植民地化の過去を反省して、日本が民主主義的な国家として生まれ変わることこそが、大切であった。
分裂する歴史認識
だが、自社さ連立政権には、様々な歴史認識を持つ議員が集まっていたため、歴史認識において様々な対立が生まれていた。
そのような、歴史認識をめぐる亀裂を示す象徴的な出来事がある。村山談話の発表に先立つ6月9日、衆議院で先の大戦を総括する「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」が採択された。自民党が社会党に妥協し、決議文では「植民地支配や侵略的行為」に言及し、「深い反省」を示した。
ところが、この国会決議に反対する議員が与党の中、とりわけ自民党の保守派から出てきた。結局、賛成者約230名に対し、与野党をあわせた欠席者数は賛成者数を上回る241人ほどになった。