2016年3月号掲載
知の教科書 フランクル
- 著者
- 出版社
- 発行日2016年1月10日
- 定価1,650円
- ページ数230ページ
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著者紹介
概要
アウシュヴィッツ収容所での自らの体験を記した『夜と霧』や『それでも人生にイエスと言う』の著者として知られる、精神科医ヴィクトール・エミール・フランクル。その生涯と思想の核心をまとめた書である。絶望の淵にある時、生きる希望を与えてくれる彼の深い思想が、含蓄に富む言葉とともに、わかりやすく説かれる。
要約
フランクルの生涯
オーストリアの精神科医ヴィクトール・エミール・フランクル。彼は、1905年3月26日、オーストリアの首都ウィーンに生まれた。
ウィーンは、心理療法発祥の地である。フロイトやアドラーが生まれたその同じ町で、しかも彼らの全盛期にフランクルは生を受けている。
1926年、フランクルが21歳の時、数名の精神科医とともに「医学心理学学術協会」を設立した。
この頃、自ら創始したロゴセラピー(実存分析)の体系化をある程度なし終えたフランクルは、臨床実践に打ち込んでいく。ロゴセラピーとは、「生きる意味」の発見を専門とする心理療法で、その特徴は、生きることに絶望した人が自らの生きる意味を再発見するのを援助することにある。
1937年には、32歳にして、神経科・精神科の専門医として個人医院を開業。だが、その数カ月後にはヒトラーがオーストリアを占領し始めた。
ヒトラーが政権を握ると、人類史上最も残酷な弾圧が始まった。治療という名目のもと、ユダヤ人は強制収容所へ送られていったのである。
1942年9月、フランクルと彼の両親はチェコのテレージエンシュタット収容所に送られた。1944年には、フランクルはポーランドにある悪名高きアウシュヴィッツ収容所へと送られる。
アウシュヴィッツでは、入所の段階で95%の人がガス室に直行させられ、残り5%が労働者とされた。フランクルは運よくこの5%に選ばれた。
彼の著作などを読むと、いくつもの幸運が彼を救ったことがわかる。だからこそ彼は、「幸運にも生き残ることができた人間の使命」として、収容所での体験を語り続けたのである。
1945年、約3年の収容所生活を終え、ウィーンに戻ったフランクルは、精力的な執筆活動を開始する。また、臨床家としても精力的に活動した。
フランクルは、苦しみの中から立ち上がろうと懸命に生きる多くの人々の心を支え、生きるエネルギーを与え続けた。そんな彼が亡くなったのは、1997年9月2日のことである。92歳であった。