2018年5月号掲載
思想家ドラッカーを読む リベラルと保守のあいだで
著者紹介
概要
“経営学の父”ドラッカーを、経営論や企業論ではなく、「思想」の観点から捉え直した書。『企業とは何か』『イノベーションと企業家精神』『現代の経営』等の著作を繙きつつ、その思想を整理した。自由主義やファシズム、社会主義など西洋思想における位置づけ、同時代の経済学者との比較などを通じ、新たなドラッカー像を示す。
要約
ウィーンのドラッカー
ドラッカーの著作を読むと、気づくことがある。
企業やそれを取り巻く社会環境を分析するだけでなく、市場、企業、自由をめぐる思想史的な議論を随所に織り込んでいるのだ。彼なりの経済・社会哲学があって、その応用として「経営」の本質論を展開しているようにさえ見える。
それはある意味、当然のことである。オーストリアのウィーンで富裕なユダヤ系の家に生まれた彼は、父親の仕事や姻戚関係で、幼い頃から、著名な経済学者や法学者と面識があった ―― 。
世紀転換期のウィーンとユダヤ人
19世紀末~1930年代初頭、世紀転換期のウィーンでは、数多くの世界的に有名な思想家、文学者、芸術家が活動していた。
文学ではホフマンスタール、シュニッツラー。精神分析の創始者フロイト、哲学のウィトゲンシュタイン。経済学では、限界効用価値説の発見者の1人、カール・メンガーに始まるオーストリア学派がウィーン大学を根城にしていた。
このように多様な学者や文化人が集うウィーンで、ドラッカーは1909年に生まれた。しかも、父が経済関係の高級官僚だったことから、シュンペーターやハイエクらが彼の家を訪れ、議論を交わした。政治・経済の論客や芸術家が頻繁に訪れる知的環境がある家庭で、ドラッカーは成長した。
こうした学者や文化人の多くがユダヤ系だった。当時、東欧各地でユダヤ人迫害が横行していたことなどから、ユダヤ系の人々が自由の発信地であるウィーンにやって来ており、世紀末にはウィーンの人口の10%前後をユダヤ系が占めていた。
ユダヤ人エリートたちは、自由主義的な政治思想を支持した。自由主義的ブルジョワ層の中核を占めるユダヤ人たちが、神聖ローマ帝国を継承する伝統的文化や慣習と、多文化主義が混在するウィーンで、世紀末文化の中心的担い手にもなった。
ドラッカーが政治、哲学、歴史、マネジメント、経済など、あらゆる領域における「多様性」と「多元主義」の重要性を強調するようになったのは、ウィーンの発展の源泉になった、多様性と多元主義を体感したからではないかと考えられる。
「傍観者」の視点とは?
ドラッカーには『傍観者の冒険』(1979年・邦題『傍観者の時代』)という半自伝的著作がある。同書で、彼は「傍観者」をこう定義している。
「…舞台にはいるが演じてはいない。観客でもない。少なくとも観客は芝居の命運を左右する。傍観者は何も変えない。しかし、役者や観客とは違うものを見る。違う角度で見る…」