2019年2月号掲載
日本の少子化 百年の迷走 人口をめぐる「静かなる戦争」
著者紹介
概要
日本の人口減少が止まらない。予測によれば、2110年の総人口は約4300万人(2015年時の3分の1)、年間出生数は24万人弱(同4分の1)に。激減の理由とは? 少子化の根本原因を探るべく、日本の近現代史を「人口」の視点から捉え直した。戦後の出生数減少の裏にはGHQの占領政策があるなど、興味深い指摘がなされる。
要約
なぜ少子化に陥ったのか
近年、わが国の人口が目に見えて減り始め、日本中が大慌てしている。これまで鈍感に過ぎた政治家や官僚が、今更ながら声高に騒ぎ立て始めた。
戦後のベビーブーム期、1949(昭和24)年には269万7000人を数えた年間出生数は、今や100万人の大台を割った。国立社会保障・人口問題研究所の予測では、2060年に約48万人、2110年には24万人足らずへと減っていく。
どうして日本は、こんな状況に陥ったのか。
「国策」として取り組んだ「産児制限」
疑問を解くヒントは、年間出生数の推移表にあった。団塊世代を生んだ戦後のベビーブームが1947~49(昭和22~24)年のわずか3年で終わっているのだ。数字をみると、1949年の約269万7000人から、翌1950(昭和25)年には約233万7000人へと一挙に36万人も減っている。
当時の資料を丹念に調べていくと、意外な事実が明らかになった。戦後のベビーブームは「3年で終わった」のではなく、国策によって「3年で終わらせていた」のだ。
その国策とは、「産児制限」である。中絶や避妊知識の普及を、国を挙げて奨励し、人為的に生殖をコントロールしようというのだから、これほど確かな人口抑制策はない。現在に続く少子化は政府が政策的に引き起こした“人災”だったのだ。
GHQによる巧妙な仕掛け
産児制限は、戦前・戦中を通じて「国家の破滅を招く」として多くの国が否定してきたことだ。日本でも、戦時中には産児調節運動家への弾圧が行われ、終戦直後も政府内では「民族の自殺だ」と反対する声が強かった。
にもかかわらず、政府は産児制限の推奨へと政策転換した。それは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による巧妙な仕掛けがあったからだ。
では、なぜGHQは日本人の妊娠・出産というセンシティブな問題にまで口出しをしたのか。その理由を探るため、日本の人口史を明治時代から辿っていくことにしよう。
人口過剰問題をめぐる歴史
人口の増減には波があるが、江戸時代中期~後期の人口は概ね一定に保たれてきた。