2022年7月号掲載
悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える
- 著者
- 出版社
- 発行日2018年4月10日
- 定価858円
- ページ数221ページ
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著者紹介
概要
20世紀において全体主義はいかにして起こったのか。哲学者ハンナ・アーレントはその根源を、社会の混乱の中で不安に陥った大衆にみる。誰かに何とかしてほしいと、すがる人々だ。本書は、為政者によるわかりやすい話に流されず、自ら考えることの大切さを、彼女の名著を引きつつ語る。世界に不安が漂う今日、手に取りたい1冊だ。
要約
「全体主義」とは何か
ハンナ・アーレントは、1906年にドイツで生まれた政治哲学者である。第二次世界大戦後、西欧諸国の政治思想に大きな影響を与えた。
彼女の著作『全体主義の起原』と『エルサレムのアイヒマン』は、現在も全体主義をめぐる考察の重要な源泉となっている。
全体主義の起原
「全体主義」や「全体主義的」という言葉を明確な意味で使い始めたのは、イタリアのファシズム政権やドイツのナチス寄りの知識人たちである。1920年代後半からムッソリーニたちは、自分たちの運動を「全体主義」と形容するようになった。
ムッソリーニらは、西欧の自由主義は人間の自由を抽象的・観念的にしか捉えておらず、現実から遊離していると批判した。そして自分たちこそが、国家の中で生きる現実の人間にとっての自由を考えているとして、各人を共同体としての国家へ再統合するファシズムの理念の意義を強調した。
近代化の過程でバラバラになった個人に再び居場所を与えてくれるような国家こそが、真の自由を実現するということだ。
彼らはそうしたファシズム国家を、「全体主義的」と形容した。具体的な生活を営む人間の「全体」を把握する、社会生活の「全体」を包括する、といったポジティヴな意味合いで、「全体主義(的)」という言葉を使っていたわけである。
西側諸国にとっての全体主義の意味
それに対して西側諸国は、自分たちとは異なる体制 ―― 諸個人を大きな共同体としての国家に組み込み、自分のためではなく国家という共同体のために生きるよう教育する体制 ―― の異様さを表す言葉として、全体主義を使うようになった。
英国の首相チャーチルらは、ナチズムなどを全体主義と呼んで非難し、その脅威から自由主義の陣営を防衛する必要を訴えた。
しかし、第二次大戦が終わり、米ソ冷戦状況が生まれると、西側諸国は、ソ連などの社会主義国を念頭に置いて「全体主義」という言葉を使うようになった。イタリアのファシズムやドイツのナチズムと、社会主義の共通性を強調するために使われたわけである。かなり政治的・プロパガンダ的意図を込めて使われていたのだ。
アーレントによる全体主義の捉え方
アーレントは全体主義を、大衆の願望を吸い上げる形で拡大していった政治運動(あるいは体制)である、と捉えている。
これは、ごく一部のエリートが主導して政治を動かす、いわゆる独裁体制 ―― あるいは政治学で「権威主義」と呼ばれるところの、特定の権威を中心とした非民主主義体制 ―― とはまったく違うものであるということだ。