2022年11月号掲載

悪党たちの中華帝国

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著者紹介

概要

中国の統治者・偉人は、なぜか「悪党」ばかりである。隋の煬帝を徹底的に貶めることで、明君として名を残した唐の太宗。朱子学が盛んになったことで、結果的に学問の停滞を招いた朱子…。中国の歴史を動かしてきた「悪党たち」にスポットライトを当て、7世紀に始まる唐代から20世紀の辛亥革命までの1400年史を捉え直す。

要約

唐の太宗 ―― 明君はつくられる

 中国は歴史の国である。少なくとも世上の認識はそうであって、皇帝・王朝が連綿と君臨し、それを記した記録も厖大に存する。

 そしてその歴史とは、紀伝体=「列伝」という表記方法をとってきた。個人の伝記で歴史を語るという手法だ。確かに、歴史は人間が作る。それなら歴史叙述も人物を前面に出すのも当然だろう。

 しかし、伝記による歴史は、視点が限定的になってバイアスがかかりやすい。視野狭窄に陥り、社会・制度に対するまなざしがおろそかになる。

 中国ジャーナリストの草分け梁啓超が、中国の史書は「個人はいても、社会がない」と断じたとおりである。それが「中華帝国」を描いてきた歴史叙述なのであって、そんな「列伝」に準拠していては、とても精確な歴史は書けない。

 中国史を現代的な歴史として扱うとすれば、まずは「個人」の前提になる「社会」を明らかにしなくてはならない。そこで、「悪党」に登場してもらおう。悪名の蔭にこそ、歴史の真相を理解するカギが潜んでいると思うからである。

唐を事実上建設した太宗

 「唐」といえば、中国史で最も著名な王朝の1つである。日本がようやく国家として成り立った頃、唐は大国として東アジアに君臨していた。そんな王朝を建設したのが、「太宗」である。

 太宗とは死後に祀る廟での呼び名であって、中国皇帝の通称として用いる。本名(諱)は李世民。

 そんな煬帝のダメぶりを示す史実は枚挙に暇がない。まず、煬帝はもともと後継者ではなく、兄の地位を陰謀で奪ったという。さらに即位後は、個人的な性格でいえば派手好み、社会的には浪費癖、それが天子の地位で発動されたために、大運河の開鑿や都城の造営などの大規模な土木工事、さらには対外遠征のくりかえしとなった。おびただしい人命が失われても懲りずに続行、臣民は塗炭の苦しみを受けたという。そのあげくに内乱が頻発し、王朝が滅び去った。

 これでは、どうみてもダメ君主だ。ただ、それで暴君・暗君と決めつけてしまうのはいかがであろうか。王朝の命運は君主1人の言動で決まるほど単純なものではない。君主の言動がなぜそうなったのかも考慮に入れて、観察する必要がある。

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