2023年3月号掲載
これが「日本の民主主義」!
- 著者
- 出版社
- 発行日2021年2月25日
- 定価726円
- ページ数279ページ
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著者紹介
概要
ジャーナリストの池上彰氏が、安保法制やメディアなど、様々なテーマから政治の変遷と問題点をわかりやすく解説。議論が足りないまま軍隊へ発展する自衛隊、数の論理で法案を押し通す与党…。国民の意思と無縁のところで決まる、「日本の民主主義」の姿を示す。国内外の政治が大きく揺れ動く今、手に取りたい1冊だ。
要約
日米安保条約から安保関連法まで
戦後、大きく変わった日本の政治。国民は、「民主主義」なるものを米国から与えられたものの、十分に理解しないまま、次第に自己流の「民主主義」をつくり出していく。
その積み重ねの歴史の上に、今がある。
「戦争ができない国にする」
1945年、太平洋戦争は終結し、日本は連合国の占領下に置かれた。連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサーは、日本に憲法の改正を指示する。連合国は、日本が二度と戦争を仕掛けてこない国にしようと考えたのだ。日本はGHQの草案をもとに憲法改正案を作成し、現在の日本国憲法ができあがった。
米国が方針を転換
だが、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米国はその方針を変えざるをえなくなる。韓国支援のため、日本に駐留する米軍が朝鮮半島に送り込まれることになった。その結果、日本は軍事的な空白地帯となる。もしそこにソ連軍が攻めてきたら抵抗できない。
同年7月、マッカーサーは総理大臣の吉田茂に「警察予備隊」の設立を命令。1952年に保安庁をつくり、警察予備隊を保安隊に改組する。1954年には保安庁は防衛庁になり、自衛隊が誕生した。
軍隊ではない組織として誕生し、国内の治安維持が主目的だったはずが、いつしか自国防衛の組織となり、内実は軍事組織に発展する。これが自衛隊だったのである。
日米安全保障条約により駐留継続
日本は、1951年に「サンフランシスコ講和条約」を米国などと結び、再び独立を果たした。そうなると、米軍は日本に勝手に駐留できない。その法的根拠としての条約が必要となり、日米安全保障条約が締結された。ただし、この安保条約には米軍が日本を守る義務が明記されていないなど、対等な立場の条約とはいえないものだった。
そのため、岸信介は総理大臣就任早々に訪米し、改正の交渉を進める。その結果、日本が他国に侵略された場合の米軍の支援義務が加えられた。
その一方で、米軍は、日本以外の「極東」での平和と安全を守るために、日本の基地を使用することができると規定された。これは、米国のアジア戦略に日本が組み入れられたことを意味する。
新安保条約を強行採決
1960年1月、新しい日米安全保障条約が調印された。条約が正式に発効されるためには、国会での批准手続きを経なければならない。
同年2月、新安保条約を審議する安保特別委員会が衆議院に設置されるが、社会党議員らの激しい反対で審議は長引く。岸は、国会で新安保条約が承認された直後、アイゼンハワー大統領を日本に招き、批准書を交換することを計画していた。そのため5月19日深夜、強行採決に踏み切った。