2023年4月号掲載
人はなぜ「自由」から逃走するのか エーリヒ・フロムとともに考える
著者紹介
概要
自由を獲得したはずの西欧近代で起きた、全体主義の台頭。その根底には、“自由”から逃れ、権威に“服従”しようとする人々の願望があった ―― 。孤独と不安が蔓延する時代に、「強いリーダー」を求めてしまう人間の心理を描いた、エーリヒ・フロムの『自由からの逃走』。この名著を読み解き、なぜ自由が重荷になるのか考察する。
要約
「自由の代償」とは何か
「全体主義」と呼ばれる政治的現象がある。それは「独裁体制」と同じだと思っている人が多いが、同じではない。
1人に権力が集中しているかどうかではなく、その国家あるいは社会を構成するほぼ全員が1つの思想を強く信奉し、同じ生活・行動パターンになっているかどうか。それが、全体主義であるか否かの基準である。社会「全体」が均質化して、統制が取れているということだ。
全体主義の典型が、ナチス時代のドイツである。ヒトラーの掲げた、ドイツ民族が世界を指導する立場にあるという世界観に大衆は魅せられ、ナチス政権を自発的に支えた。そして、600万人に及ぶとされるユダヤ人等の大量虐殺が実行された。
全体主義体制は、ユダヤ人や資本家など、自らに敵対する(と見なす)勢力を、住民の力を借りて暴力的に排除しようとする。裏を返せば、個人の自由な思考と活動を認めないで、「全体」に合わせることを求める。
ドイツのように、自由民主主義体制を経験し、自由な個人として生きることの喜びを知った国の国民が、なぜ全体主義体制を支持したのか?
様々な分析がある中で、最も説得力がある説明はエーリヒ・フロムのそれだろう。彼が執筆した『自由からの逃走』は、近代世界において自由を与えられた個人が、自由に生きることに伴う重圧、不安に耐えかねて、自らが自由を放棄するに至った過程を社会心理学・社会史的に描き出している。
自由と服従
フロムは、人間には他者による拘束から自由になろうとする傾向があり、人類の歴史は、抑圧から自由になろうとする人々の戦いの歴史だったと見ている。自由のための戦いは次第に拡大し、西欧近代を特徴付ける経済的自由主義、政治的民主主義、宗教的自律、個人主義などが生まれた。
20世紀に入って、自由のための戦いは決着しつつあるかのように思われた。しかし、第一次世界大戦が終わって、しばらく経ってから雲行きがおかしくなってきた、とフロムは指摘する。
この大戦は、英米仏など先進的な自由主義諸国と、国王(皇帝)を中心とする官僚体制により統治するドイツ、オーストリア、オスマン・トルコの間の戦いであり、後者が敗れて、ドイツ等では自由主義な体制が樹立された。大戦によって「自由」への波が世界化したといえる。にもかかわらず、逆転が起こった。それはどういうものか?
「新しいシステム」の出現
フロムは次のように言う。
「わずか数年たつうちに、人々が数世紀の戦いで勝ち得たと信じている一切のものを否定するような、新しいシステムが出現した。人間のすべての社会的個人的生活をたくみに支配するようになったこのシステムの本質は、ごく少数の人々は別として、すべての人々が自分たちの側からコントロールできない権威へ服従することになった」