2023年5月号掲載
戦後史の正体 1945-2012
著者紹介
概要
元外務省・国際情報局長の著者は言う。戦後の日本外交を動かしてきた原動力は、「米国からの圧力」と、それに対する「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合いだった、と。しかし、こうした視点で戦後史を述べたものはほとんどない。本書では、吉田茂や重光葵など、重要人物の動きを追いつつ、戦後70年の真実を明らかにする。
要約
日本は無条件降伏をした
戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力。それは、「米国からの圧力」と、それに対する「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合いだった。
例えば、普天間問題。「米軍基地は沖縄に集中しすぎている。だから県外へ移設しよう」とするのが「自主」路線。一方、「米国の意向に反するような案を出せば、日米関係全体にマイナスになる。だから米国のいう通りにしよう」とするのが「対米追随」路線だ。この2つの外交路線の相克が、戦後、日本の歴史全体の骨格になっている。
日本だけではない。世界中の国々の歴史は、大国との関係で決まる。そのことがわかれば、自国の歴史も国際情勢も、くっきり見えてくる ―― 。
日本は降伏した。単なる終戦ではない
日本はいつ、第二次大戦を終えたのか?
ほとんどの人が「1945年8月15日」と答える。確かに8月15日は終戦記念日とされている。この日、昭和天皇の肉声がラジオで流れた。
「私は世界の大勢と大日本帝国の現状にてらして、非常の措置をもって時局を収拾したいと思う。忠実で善良な国民に告ぐ。私は帝国政府に対し、米国、英国、中華民国、ソ連の4カ国が提示した共同声明を受け入れることを通告させた」
日本人の多くは「8月15日にポツダム宣言を受け入れることにした。だから戦争は終わった」と思っている。だが通常、戦争は休戦条約を結び、講和条約の交渉をして調印するという手順を踏んで、初めて終戦となる。日本は1945年9月2日、米国戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名している。
では、米国や英国などは、どの時点を戦いの終わりと見ているのか。米国のトルーマン大統領は、9月2日の降伏調印式の直後、その日を「対日戦争勝利の日」と宣言した。英国のチャーチル首相も同じく、「本日、日本は降伏した。(略)平和は再び世界におとずれた」と述べている。
9月2日、日本は降伏文書に署名した
日本が終戦記念日を8月15日とし、9月2日としていないことに、何か意味があるのだろうか。
ある。それは9月2日を記念日にした場合、「終戦」記念日とはならないからだ。明らかに「降伏」した日なのだ。そう、日本は8月15日を戦争の終わりと位置づけることで、「降伏」という厳しい現実から目をそらし続けているのだ。
「日本は負けた。無条件降伏した」