2024年12月号掲載

フェイクニュースを哲学する ――何を信じるべきか

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著者紹介

概要

インターネットの登場以降、「フェイクニュース」が世に溢れている。そんな状況下で、私たちはいかにして情報の真偽を見極めるべきか。他人の言うことはどの程度信じてよいのか…。これらの問いを哲学的な観点から考察する。情報の渦に溺れそうな時代にあって、「真理を多く、誤りを少なく」するためのヒントが詰まった書だ。

要約

フェイクニュースとは何か

 インターネットは、我々が世界中の情報に瞬時にアクセスすることを可能にした。その恩恵は計り知れないが、他方で、我々と知識との関係が歪められている側面もある。その最たる例が、フェイクニュースの蔓延という事態だ。

 そこには、インターネットが本質的にもつ構造的特徴、ネット空間における情報伝達のあり方の特徴など、様々な要因が絡んでいる ―― 。

情報の真実性が欠けている

 まず、「フェイクニュース」という言葉の意味を明確にしよう。「フェイク」という言葉は多くの場合、「でっち上げ」や「ニセ物」を意味する。それゆえ、フェイクニュースは単なる間違った情報だけを指しているわけではない。

 例えば、新聞の誤報などは、事実と違う内容を伝えているという意味で「偽なる情報」ではある(誤情報)。しかし、偽なる情報を故意に伝えているわけではない。一方、フェイクニュースは多くの場合、相手を欺くことを意図して偽なる情報を拡散させている場合に使われる(ニセ情報)。

 また、情報内容の真実性という観点から、情報が明確に偽とはいえないが、フェイクニュースと言いたくなるケースが存在する。

 例えば、あるニュースサイトが「暴徒1000人がドイツ最古の教会に放火」という見出しの記事を載せた。そこでは、「アッラーは偉大なり」と繰り返し唱える男たちが花火を打ち上げ、由緒ある教会に放火したと書かれている。

 この記事を読んだ多くの人は、イスラム過激派が故意に火災を起こしたと思うだろう。しかし実際には、その群衆の1人が放った花火が教会の周囲を覆っていた網に誤って着火してしまったのであり、火はすぐに消し止められるほど小さかった。

 この場合、すべての情報が虚偽ではないが、読者を間違った理解へと誘導することになる。こうしたミスリードもフェイクニュースとみなせる。

「情報発信の正直さ」が欠けている

 例えば2016年、米国の大統領選挙の前に、マケドニアの少年たちが多くの虚偽情報を発信した。だが、その目的は閲覧者を欺くことではなかった。人々に自分たちのサイトを多くクリックさせ、広告収入を増やすことだった。彼らにとって、情報が正しいかどうかはどうでもよいことだった。

 以上のことから、フェイクニュースは「情報内容の真実性が欠如しており(偽か、ミスリードである)、かつ情報を正直に伝えようとする意図が欠如している(欺くことを意図しているか、でたらめである)」ものとして定義することができる。

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