1999年12月号掲載

小倉昌男 経営学

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著者紹介

概要

今日、すっかり私たちの暮らしに定着した感のある「クロネコヤマトの宅急便」。事業を立ち上げた頃、郵便小包の独壇場だった個人宅配市場への挑戦は無謀とされたが、今や宅急便の取扱個数は、郵便小包を大きく上回る。その成功のカギとは? 宅急便の生みの親である小倉昌男氏自らが、宅急便事業の歩み、そして成功の背後にある自身の経営哲学を語る。

要約

宅急便の誕生まで

 事業として成り立つとは思えなかった宅急便、無謀ともいえた郵便小包への挑戦が、挫折することなく伸長している。

 宅急便のスタートは昭和51(1976)年。それまで家庭から小荷物を送るには、郵便小包しか方法はなかった。宅急便はそこへ殴り込んだのだ。

 だが、初年度の実績は、郵便小包の1億7880万個に対し、わずか170万個。ヤマト運輸の試みは、誰もが失敗するだろうと考えていた ―― 。

戦前は日本一のトラック運送会社

 ヤマト運輸は大正8(1919)年、父、小倉康臣によって創業された(当時は大和運輸)。その後、昭和10(1935)年には関東一円のネットワークを完成、日本一のトラック運送会社となった。

 だが戦後、長距離路線市場に乗り遅れる。改善策として百貨店配送、航空、海運等、多角化の道を選ぶが、各事業が伸び悩んだ上に、柱である商業貨物のトラック運送の収益までが悪化した。

 ヤマト運輸が危機に直面した時、社長に就任した私の頭に浮かんだこと。それは、「ターゲットとする市場を商業貨物から個人宅配へと切り替え、事業の体制も、多角化とは反対のたった1つのサービスに絞るべきではないか」ということだった。

吉野家に学んだメニューの絞り込み

 その発想のヒントとなったのは、吉野家だった。

 新しいビジネスを考えている時、かつて日本経済新聞に載っていた牛丼の吉野家の記事を思い出した。その記事は、吉野家がいろいろあったメニューを止め、牛丼ひとつに絞ったと報じていた。

 私は、良いトラック運送会社とは、どんな荷物でも、大量であれ少量であれ、安い運賃で運び、荷主に喜ばれる会社になることだと思っていた。

 しかし、何でも運ぶという方向は間違っているのではないか。それよりも吉野家のように思い切ってメニューを絞り、個人の小荷物しか扱わない会社になった方が良いのではないだろうか ―― 。

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