2006年8月号掲載
安岡正篤一日一言 心を養い、生を養う
概要
『人物を修める』『東洋人物学』『先哲講座』『日本精神の研究』『運命を創る』『佐藤一斎「重職心得箇条」を読む』…。東洋学の大家であり、日本人の精神のあり方を説き続けてきた故・安岡正篤氏の遺した数々の名著は、今も多くの人々に読み継がれている。本書は、そうした著作の中から琴線に響く言葉を抽出し、「一日一言」としてまとめたもの。
要約
心と生を養う、珠玉の言葉
東洋学の泰斗・安岡正篤氏。その不易なる東洋教学の精神、活学追求の学風は、今日まで多くの人々の心の支えとなり続けている。
本書には、そんな安岡教学の本質を捉えた言葉が、一日一言、366収録されている。例えば ──
* * *
自己鍛錬の妙薬
人間はどんなことが起っても、自由自在に対応出来る適応力を不断に養わなければいけない。それには絶えず自力を養成しなければならぬ。
薬の力とか、医者の力とか、他物に依存して居っては段々に自力が弱くなります。自然の体力、生命力が弱くなってしまいます。どんな代用品も自然の生命力に勝るものはありません。
身体ばかりではない。生理ばかりではない。精神、心理という意味に於ける性理、命理もすべてそうです。
そんなことから、病弱とか、愚鈍であるとか、貧乏であるとか、多忙であるとかいうことは、逆に自分自身を鍛錬する非常な妙薬、否、妙薬以上のものであります。
幸と福
「さいわい」にも幸と福と二字ある。
学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたにすぎない幸いを幸という。たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐり合わせにぶつかったとかいう、これは幸。これは当てにならない。
そうではなくて原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸いを「福」という。
福という字がそれをよく表しておる。示偏というのは神さまのことだ。示というのは上から光がさしている、神の光、叡智の光を表す。