2004年8月号掲載
それでも人生にイエスと言う
Original Title :...Trotzdem Ja zum Leben sagen
著者紹介
概要
第2次大戦中、ナチスの強制収容所でまさに地獄のような体験をした著者が、終戦翌年の1946年にウィーンで行った講演をまとめたもの。人間にとって極限の状況といえる収容所にあって、なおも人間の尊厳を失わず、生きる希望を捨てなかった人たちの例などを引きつつ、「生きる意味」とは何かを説く。生きる意味を見失いがちな現代人に、大いなる気づきを与えてくれる1冊である。
要約
生きる意味と価値について
今日、生きる意味と価値について語ることは、これまでにも増して重要になってきている。
しかし今や、「意味」や「価値」や「尊厳」といった言葉の意味そのものが、疑わしいものになってしまっているのではないか。
ドイツの哲学者カントは、人間本来の尊厳についてこう述べている。「あらゆる事物は価値を持っているが、人間は尊厳を有している。人間は、決して、目的のための手段にされてはならない」。
だが、ここ数十年の経済秩序の中で、人間は尊厳を奪われ、経済活動の単なる手段にされた。
そして第2次世界大戦が始まり、強制収容所が造られた。そこでは、死刑の判決を下された人間の生命さえも、最後の瞬間に至るまで、労働力として徹底的に利用された。
生命の価値は、何と低く見られたことか。
囚人たちは、1日1度の食事であるスープでさえ、「やる値打ちもない」と非難された。
また、生命同様、死も大した値打ちはなかった。その死は1発の銃弾を費やす値打ちもなく、ただ青酸入りの害虫駆除剤を使えばよいものだった。
ここではっきりしたのは、「生産的」でなくなった生命は全て、文字通り「生きる価値がない」と見なされたことである。
裸の実存
そして、年月を経て、人間性が問題であることがはっきりした。どんなにおぞましい出来事の中にあっても、全ては「その人がどういう人間であるか」にかかっていることを、私たちは学んだ。
例えば、ある強制収容所では、収容所所長が密かに自分のお金で囚人のために薬を買っていた。他方、自分も囚人である人間が、仲間を虐待していた。つまり、まさしく人間にかかっていたのだ。