2009年1月号掲載
「できません」と云うな オムロン創業者 立石一真
著者紹介
概要
制御機器大手・オムロンの創業者、立石一真氏の波乱に満ちた生涯を描いた書。裸一貫から事業を起こした後、倒産寸前まで追い込まれながらも、その後、無人駅システムはじめ数々の「世界初」の開発に成功するなど、不可能を可能にし続けた氏の足跡が綴られる。その不撓不屈の物語からは、経営とは何か、人生とは何かという問いへの、多くの示唆が得られるだろう。
要約
立石電機創業
1921年、熊本高等工業学校電気科を卒業した立石一真は、兵庫県庁に就職した。
その後、京都の井上電機製作所に転職したが、29年に世界恐慌が起こり、その影響で日本経済も大不況に突入する。井上電機製作所は希望退職者を募り、一真はそれに応じた。
だが不景気の中、就職口は見つからない。そんな状況のある日、何か仕事はないかと、島津製作所でレントゲンの販売をしていた同級生を訪ねた。
一真の話を聞いた彼は、20分の1秒の撮影ができるレントゲン撮影用タイマーを開発すれば売れる、と教えてくれた。当時のタイマーはゼンマイ式で、20分の1秒の瞬間撮影ができないため、心臓の鼓動で胸部撮影がぼけてしまっていたのだ。
「これはいける」。そうピーンときた一真は、早速、試作に取りかかる。とはいえ、金はない、職工もいない。設計図は自分で線を引いた。部品は、廃品回収業者に通い、くずの中から使えそうな切れっ端を探し、安く買ってきては加工した。
こうして完成した試作品を、知り合いが紹介してくれた大日本レントゲン製作所に持ち込んで検討してもらったところ、長期大口のOEM(相手先ブランド)契約が成立した。
そこで、大日本レントゲン製作所の近くに「立石電機製作所」を創業した。33年のことだ。
試行錯誤の末、開発したマイクロ・スイッチ
41年、米国の電気雑誌『エレクトロニクス』に出ているマイクロ・スイッチを作れないかとの話が、東京帝国大学航空研究所から持ち込まれた。
この超小型のスイッチは、米国ではすでに相当数が航空機に使われているという。
一真は、この依頼を引き受けた。そして、シカゴにいた知人に現品とカタログを入手してもらい、これを基に開発をスタートした。
材料をはじめわからない点が多く、なかなかうまくいかなかったが、粘り強く実験を続けた。この間、何と2年。恐るべき執念といえる。