2010年5月号掲載
生の短さについて 他二篇
Original Title :DE BREVITATE VITAE DE TRANQUILLITATE ANIMI DE VITA BEATA
- 著者
- 出版社
- 発行日2010年3月16日
- 定価924円
- ページ数316ページ
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著者紹介
概要
古代ローマ時代を、政治家、そして哲学者として生きたセネカ。彼が目指したのは、哲学を人間中心のものへと方向づけたソークラテースへの回帰、人間学への道であった。本書は、そんなセネカの著作の中から、『生の短さについて』『心の平静について』『幸福な生について』の3篇を収録。人生を充実させ、幸福に生きるにはどうあるべきかが示される。
要約
生の短さについて
哲学者アリストテレースは、「多くの偉業をなすべく生まれついた人間に定められた寿命はあまりにも短い」と言った。
しかし、我々にはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費しているのである。
人間の生は、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている。
だが、生が浪費と不注意によっていたずらに流れ、善きことに費やされない時、我々は生がすでに過ぎ去ってしまったことに否応なく気づかされるだろう。
つまり、我々の生が短いのではなく、我々自身が生を短くするのであり、我々は生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する、それが真相なのである。
莫大な財といえども、悪しき主人の手に渡れば、たちまち雲散霧消してしまう。逆に、つましい財でも、善き管財人の手に託されれば増える。
それと同じように、我々の生も、使い方を知れば長いのである。
忙殺されて生きてはならない
しかし、ある者は飽くなき貪欲の虜となり、ある者は酒に浸り、ある者は怠惰に惚ける。また、公職への野心で疲労困憊する者もいる。
彼らがどれだけの時間を金銭勘定や宴会に費やしているか、見てみるとよい。その営みが、彼らに一息つく暇さえ与えないことがわかるであろう。
何かに忙殺される人間は、何事も立派に遂行できない。諸々の事柄に関心を奪われて散漫になった精神は、何事も心の深くには受け入れられないからである。
何かに忙殺される人間ほど、生きることの自覚は希薄である。