2012年2月号掲載
運命を拓きゆく者へ 理想を携え、道は一歩ずつ
著者紹介
概要
『武士道』の著者として知られる新渡戸稲造は、他にも多くの名著を残している。それらのうち、『修養』『世渡りの道』『人生読本』の3冊を再編集、自ら運命を切り拓き、真の幸福をつかむ上で心がけるべきことを抽出して紹介する。教育者として、明治・大正の人々に大きな感化を与えた著者の言葉は、今も色褪せることなく、貴重な気づきを私たちに与えてくれる。
要約
自己を高める心の準備
我々は自分の心を省みる時、そこに善と悪との2つの力があるのを認めざるを得ない。
どんな聖人であっても例外なく、例えば、パウロは「我善をなさんとすれども意のごとくならず、悪を避けんとすれど悪に導かるる」と言っている。
孔子は、70歳になって初めて「心の欲するところに従えども矩を踰えず」と言った。つまり察するところ、孔子は70になるまでは、己れの欲するところと矩(道理や道徳)の間に衝突があったのだろう。
どこの国、どこの時代、どんな種類の人間でも、その心の働きがただ一筋に進んだ例はない。
成功者になることが自己の成長にあらず
人の性は、果たして善か悪か。心理学者は性は善と悪との混合だと結論しており、宗教家はその結論の上に救いの道を講じている。
自己の発展とは、自己の内部の善性を高め、悪性を矯正することだ。断じて自己の勢力を拡大したり、財産を増やしたりすることではなかろう。
事業に成功したり立身出世したりすることは喜ばしいことではあるが、これらは自己発展の1つの小経過にすぎない。なぜなら、そこには偶然の幸運が混じっているからだ。
成功とは俗にいえば、当たったということであり、うまく時勢に乗じたのである。同じ力を持ち、同じ方法を使いながら、一方は成功し他方は失敗する例が、世の中には数えきれないほどある。
成功したせいで得意になってそれ以上の努力を怠る人間がごまんといる一方で、事業に失敗したり出世をしそこなったがゆえに、考えが深まり、精神的に向上した例もたくさんある。
心配のしだめと飯の食いだめは役に立たない
人生を見渡すと、運のよし悪しということも多く見られる。見方によっては何事も運だ、といえなくもない。ならば全て運に任せ、何の準備もせず待てばよい、という考えが起こる。
父はよく家族に、「心配のしだめと飯の食いだめほど役に立たないものはない」と教えていた。