2012年2月号掲載
中村天風に学ぶ成功哲学 人生は心一つの置きどころ
著者紹介
概要
中村天風氏は30代の時、結核を患ったのを機に宗教、哲学等の本を読み漁る。その後、米国で医学を学び、帰国の途上、知り合ったヨガの聖人に師事し悟りを開いた。こうした特異な体験から生まれた「天風哲学」の本質を、渡部昇一氏が豊かな知見を基に説く。マーフィーの成功法則、幸田露伴の言葉との類似点等、その指摘、解説は興味深く、そしてわかりやすい。
要約
中村天風とポップ・フィロソフィー
世に人間学といわれる学問がある。これは、人間としていかに生きるべきかをテーマとしている。
この人間学は日本だけでなく、外国にも同様のものがあり、英語では「ポップ・フィロソフィー」という。ポピュラー・フィロソフィーの意味で、民衆哲学、人生哲学と呼ばれたりする。
これらの哲学に対し、いわゆる大学の学問としての哲学、アカデミック・フィロソフィーがある。例えば、カントやヘーゲルの哲学などがそうだ。
それに対して、ポップ・フィロソフィーとは、大学の外で、主に一般の人が人生を考えるために行われる哲学である。
戦後、ポップ・フィロソフィーを広めた代表格としては、ポジティブ・シンキングを勧めたノーマン・ピール、『信念の魔術』を書いたC・M・ブリストル、潜在意識を人生に活かす方法を教えたジョセフ・マーフィーといった人たちがいる。
これから述べる中村天風氏の哲学も、ポップ・フィロソフィーそのものである。
明治9(1876)年に生まれた天風氏は、16歳の時に陸軍の軍事探偵として満洲に赴いた。その後、30歳の時に結核にかかったのを転機として、医学、宗教、哲学、心理学などの本を読み漁る。33歳の時に渡米、コロンビア大学で医学を学んだ。
そして帰国の途中、カイロのホテルでヨガの大聖人に巡り合い、そのまま弟子入り。2年数カ月にわたりヨガの修行を続けて悟りを開いたという。
37歳で日本に帰国してからは実業界で活躍するが、43歳の時に一切の社会的地位、財産を捨て「統一哲医学会」を創設。その後、会の名称を「天風会」と改め、多くの人に天風哲学を説いた。
私は、この天風哲学の真髄を、天風哲学を長年研究する宮本明氏よりお聞きしたが、その時に驚いたことは、氏が語られる内容のほとんど全てが、かつて私が「マーフィーの法則」として紹介したものと重なっていることだった。要するに、天風氏の到達点には米国のポップ・フィロソフィーの主流と合致するところが多いのである。