2013年7月号掲載
無力 MURIKI
著者紹介
概要
あらゆる価値観が揺らぎ、下降していく日本で、これからどういう姿勢で生きていけばいいか、五木寛之氏が語った。親鸞は“他力”による生き方を説いた。かたや人は“自力”で生きるべきだという考え方がある。しかし、いずれでもない、力の束縛を離れた「無力」という考え方を持つことで、自分を真に自在にでき、不安に満ちた現代をよりよく生きられるという。
要約
「無力」の思想
近頃、どうも世間が力んでいる気配を感じる。軽やかでないというのか、うまく力を抜くことができていない。
例えば、大災害に備えた国土強靭化、国防軍の創設…首相に返り咲いた安倍さんの所信表明も、「強い国」を目指すという言葉であふれていた。
日本では1990年代初めにバブルが終わり、「失われた20年」という低迷の時代をへて、明らかに世相が変わってきた。もう一度力強い方向へ、時代が動きだそうとしている気がする。
しかし、風に吹かれ、流されゆくように生きてきた80年の日々をへて、私はこう思うのである。
もう、そろそろ「力」と決別する時ではないか。
自力でもなく、他力でもなく、その先に「無力」という世界があるのではないか。この不安な時代においては、「無力」という考え方を持った方が、よく生きることになるのではないか。そう考えて、この言葉からものを考えてみようと思うのである。
信と不信の間を生きる
今、私たちはたえず信と不信の間で、生きることを余儀なくされている。
一例を挙げると、放射線科医の近藤誠さんが、早期発見・早期治療はよくない、長生きしたければがんはむやみと治療してはいけない、という趣旨のことを『文藝春秋』に書いておられた。
一方で、他の週刊誌を読むと、日本のがん医学界の権威が、がんの大半は治せると断言している。その決め手は、やはり早期発見・早期治療という。
月刊誌と週刊誌で、主張がまるで違う。
私自身を含めた誰もが、検査を受けるべきか、受けるべきでないか、それ自体もわからない。