2013年11月号掲載
「雑巾がけ」から始まる 禅が教えるほんものの生活力
著者紹介
概要
「禅」というと、坐禅のイメージが強い。しかし、坐禅や読経より、掃除や食事、入浴等、日々の暮らしに真正面から取り組むことを何よりの修行とするのが禅だと、禅僧の著者・有馬賴底氏は言う。そして、生活を正しく行い、自らの足元を固めた先に、初めて広い世界が見えると。本書では、そうした生活力を鍛え、自らに磨きをかけるための智慧の数々が語られる。
要約
自らに磨きをかける禅の智慧
禅の坊主は、何かと相談をもちかけられることが多い。中でも多いのが「どうやったら物事に動じない強い自分になれますか?」といったものだ。
上司や部下の顔色をうかがう自分がイヤだとか、大きな決断が怖くてできないとか。要するにブレない自分になりたいのになれない、という悩みだ。
そういう質問に対して私は、「とにかく雑巾をもってごらんなさい」と答える。
雑巾をもつとは、掃除をすること。掃除とはすっきりと心地よく、清浄な状態を保つことだ。保つべきものは空間のみならず、心身もまたしかり。
禅は、難しくてよくわからない、と思われがちだが、根底にある考え方はきわめてシンプルだ。経をそらんじたり、坐禅を組んだりするよりも、日々の暮らしに真正面から取り組むことが何よりの修行、とするのが禅なのである。
掃除はもちろん、料理を作り、食事をし、後かたづけをして、風呂に入り、睡眠をとる。そういう当たり前の生活を「正しく行う」中で、人としての豊かな心や生きる力を育んでいく。
禅には、そうした生活力を鍛え、自らに磨きをかけるための智慧が凝縮されている ―― 。
一掃除、二信心
一掃除、二信心。お勤めをしたり、書物や語録を読んだりすることよりも、掃除をすることがまず肝心、というのが禅の教えである。
自分自身と身の回りが清浄でないと、どことなく落ち着かない。ということは、身の回りが清らかであれば、自ずと心も澄んでくるといえる。
日々の掃除に真剣に取り組むことは、どんな禅の修行にもまさる修行といえる。
私の小僧時代も、1年365日、一日中、どこかしらの掃除をしているような生活だった。そんな中で師匠からやかましいくらいに言われたのが、「見えない場所」をきれいにしろ、ということ。