2014年2月号掲載
天才の勉強術
著者紹介
概要
モーツァルト、ニュートン、ナポレオン…。世に「天才」と呼ばれる人々は、いかにして特異な能力を持つに至ったのか。天才とは、生まれついての才能の持ち主ではなく、「学習の産物」。この仮説のもと、天才たちの生き方や仕事ぶり、学習法などを丹念に検証し、その「勉強術」の秘密を探る。それらの秘密は、程度の差こそあれ、ごく普通の人にも実践可能だ。
要約
「真似」の天才:モーツァルト
人間の生涯は、物事を学び続ける果てしない旅である。死の床にあっても、病から何事かを学ぼうとする人間もいる。
学校の授業や本を読むことだけが勉強ではない。何か新しいことを知ったり、新しい能力を身につけたりすること、それがものを学ぶということであって、人間が味わう感動や楽しみの大半は、こういったところから生まれてくるのではないか。
この学ぶ楽しさを最もよく知っているのが、「天才」と呼ばれる人々だ。
一般には、天才とは、生まれつき優れた能力を持つ人間と思われているようだが、果たしてそうだろうか。私は、次のような仮説を立てたい。
「天才とは、学習の産物である」
この仮説を、天才と呼ばれる人々の生き方や学習法、仕事ぶりなどを通して検証してみたい。
* * *
まず取り上げたいのは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトである。
彼は3歳でピアノを弾き始め、5歳で作曲を始め、12歳で最初のオペラを作曲するという「神童」ぶりであった。さらに年齢を重ねるに従って、彼のつくり出す音楽は味わいを増していった。
手本を超えてこそ真の「真似」
モーツァルトは、「真似」の天才といえる。
現在、我々が聴いている彼の『レクイエム』は、彼の死後に弟子が仕上げた曲で、演奏時間約50分のうち、モーツァルトがほぼ完全に書き上げたのは、冒頭の数分間の部分のみである。