2015年11月号掲載
そうじ資本主義 日本企業の倫理とトイレ掃除の精神
著者紹介
概要
本田宗一郎、松下幸之助をはじめ、日本には“掃除”の重要性を説き、率先垂範する名経営者が少なくない。なぜか? ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を糸口に、企業経営と掃除の関係性を探った。連帯感、徹底、感謝…。考察する中で見えてきたのは、日本企業を下支えする、忘れてはいけない「精神」だ。
要約
資本主義とキリスト教の関係性
日本には、掃除を大切にする会社が少なくない。世界的に強い競争力を維持している会社の中には、整理・整頓・清掃・清潔・躾の「5S」を徹底しているところが多数ある。
なぜ、日本企業は掃除や5Sを大切にするのか。単に綺麗にすること以上の意味があるのではないか。日本独自の経営観、日本人特有の人間観というものが根底にあるのではないか。
私はそうした問題意識から、掃除と企業経営についての研究を続けてきた。その際、手にしたのがマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下『プロ倫』)だ。
彼は、宗教を通じて人々に宿る精神、行動様式こそが資本主義が発達する土台になったことを示した。この書を踏まえた上で、掃除や5Sに注目してみると、その意味や意義が見えてきた ―― 。
ウェーバーが発見した資本主義とキリスト教の関係性
ウェーバーが主張していること。それは、「キリスト教の中でもプロテスタント、特にカルヴィニズムという教理から生まれたピューリタンなどの宗派の信徒が多く住んでいる地域から、近代資本主義が始まった」ということだ。
平たく言えば、「プロテスタント信徒が多い地域ほど、近代的な大企業が多い」という関係性を発見した。非科学的に思える宗教に熱心なことが、合理性の極みである近代資本主義の成立には不可欠である、という意外な関係性を見いだしたのだ。
なぜプロテスタントの信徒は懸命に働くのか?
では、なぜカトリックではなく、プロテスタントの人々が近代資本主義の主役になったのか?
カトリックの信徒は洗礼に始まり、結婚式や葬式など、何かというと教会に行く。儀礼によって救済を求めるのがカトリックである。
しかし本来のキリスト教とは、教会に参拝することを求めた宗教ではない。神を信じることを求めた宗教である。そこで原点回帰を目指したのがプロテスタントだ。16世紀にルターが始めた宗教改革が起点となり、様々な宗派を生み出したが、共通するのが「聖書に帰れ」という考え方だ。
その聖書の中で繰り返し説かれているのが、神を信じよということである。そして、その延長線上で説かれているのが「救済予定説」である。
キリスト教では、神に救済されると神の国に行ける。ただ、神に救済されるかどうかは自分ではわからない。