2016年11月号掲載
人生を照らす禅の言葉
著者紹介
概要
臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺氏が、禅の極意、人生の知恵について語ったもの。「何のために生まれてきたのか」「真理は当たり前のことにある」…。達磨大師や臨済禅師の故事、あるいは哲学者・森信三氏の言葉、恩師の松原泰道氏とのエピソードなどを交えながら、禅語に込められた普遍的なテーマを、やさしい語り口で説く。
要約
禅語を読む
禅語を読むには、姿勢を正しくして読むことをお勧めする。声に出して読むこともいい。
ただ、頭で解釈するだけでなく、体で読むことが大事である。それには、まず腰骨を立てること。私は初めて坐禅をする人には、「腰骨を立てましょう」と申し上げる。腰骨を立てると、やる気が起こる、集中力が出る、持続力がつく、頭脳がさえるなど、いいこと尽くめである。
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臨済宗の修行では、坐禅して公案(禅の問答に用いる問題)の答えを求める。私は40年近く、禅の問答に明け暮れて過ごしてきた。そんな経験を踏まえ、人生において禅語から何を学ぶのかという視点で、思いのままに書き綴っていきたい。
柳は緑、花は紅 ―― 大自然の教えを謙虚に学ぶ
恩師の松原泰道先生には、私は中学生の頃から30年の長きにわたってご指導をいただいた。その間にたくさんの著書を頂戴した。最後にいただいたのは、『いまをどう生きるのか』であった。
その時、先生は筆を持たれて「柳緑花紅 百二歳泰道」をお書きくださった。何の説明も必要ないほど、簡単明瞭な禅語だが、意味は奥深い。
年々に木々は緑の芽を伸ばす。花は歳々美しい色に咲く。大自然の大いなるいのちの発露である。
私たちも本来大自然から賜った尊いいのちをいただいて生まれて、今日まで生きている。人生の様々な問題に悩むことも多いが、そんな時こそ、大自然の大いなるいのちを賜っている、この原点に立ち戻ることが大切だと思う。
思えば、初めて先生にお目にかかった時、仏教の教えを一言で表す言葉をいただきたいとお願いした。先生は不躾な質問に嫌な顔ひとつなさらず、
「花が咲いている
精一杯咲いている