2017年10月号掲載
知的人生のための考え方 わたしの人生観・歴史観
- 著者
- 出版社
- 発行日2017年6月29日
- 定価1,012円
- ページ数312ページ
※『TOPPOINT』にお申し込みいただき「月刊誌会員」にご登録いただくと、ご利用いただけます。
※最新号以前に掲載の要約をご覧いただくには、別途「月刊誌プラス会員」のお申し込みが必要です。
著者紹介
概要
人生をどのように生きるべきか。日本の歴史をどう見ればよいか ―― 。碩学の英語学者・評論家、渡部昇一氏の思索のエッセンスをまとめた。「自己探究としての知的生活」「精神の源流としての記紀」等々、知的生活のノウハウから歴史への向き合い方まで、人生観・歴史観を高めるための、著者ならではの視点が示される。
要約
自分探しの旅
「アイデンティティー・クライシス」という言葉をよく耳にする。
直訳すれば、「自己同一性の危機」。平たく言って、「『自分はいったい何だろう』ということがよくわからなくなってきた」ということだ。
自分とはいったい何ぞや
昔は、アイデンティティー・クライシスは、それほど問題にならなかった。源平の戦いの頃は、「われこそはかしこくも清和天皇の皇子、貞純親王の流れを汲む源六条判官為義の八男為朝なり…」と名乗ってから戦闘を始めたが、この名乗りがちゃんとしたアイデンティティーになっている。
自分の先祖から説き起こして、父に至り、自分はその子である、といったふうに、「自分がいかなる者であるか」を明確に規定しているからだ。
この時、為朝の頭の中には「自分とは何ぞや」といったことは問題にならなかったに違いない。
外にある規範には満足できなくなった
似たようなことは最近まであった。「私はA社の社員である」と言えば、それで十分で、A社に献身することが自己実現であり、生きがいだった。
だが、現代はそうではない。つまりアイデンティティー・クライシスの時代とは、「自分は何であるか」という問いに対し、簡単に「○○の子である」「○○会社の社員である」という答えでは満足できなくなった時代のことである。
つまり、自分の外にある規範や体制と同一化することで、「自分は何であるか」を規定することを拒否する人が増えてきたのである。
昔は会社の規則に従っていればよかった。そうすれば年功序列的に待遇もよくなり、生きがいもあった。この「外側の価値体系」が崩れた時、人は「自分の内側」に価値を求めざるを得なくなる。
私たちが生きがいの根本部分を外側の価値体系に依存できなくなったのなら、徹底して自分を見つめるしか方法がない。そして、そのようにして自分を探してこそ、次に歩むべき自分なりの、真に自分らしい生き方ができるのだと思う。